最近、業務の引継ぎが上手くいかずに荒ぶった。
「詳細はインスタのストーリーを。」と言いたいところだが、良くも悪くも24時間で消える安心感に頼って消えた投稿を復活させたくない。
積もり積もった嫌な事の数々の詳細をココに書き上げて満たされようかとも思ったけど、絶頂病みウィークにそれをやったら逆効果だと思い、ちょっと落ち着くまで待ってみた。
一時、看護師の友だちから教えてもらった『インシデント報告書』なるものを自己流にアレンジし、経理版!仕事ミス特集!というタイトル付きの冊子が出せそうなほどオリジナルミス日報シリーズが溜まった所で病んだ。なんだって嫌な事に目を向けるのにはエネルギーが必要だ。
このnoteを書き始めた時はデューイの『自己充足的であれ!』という言葉に感銘を受けて書き出したのに、1週間も経つと何を書きたかったのかまるで忘れている。
とりあえずデューイが良すぎるのは確かだ。
業務の引継ぎ中に感じたイライラがここに凝縮されていた。今回の私の立ち位置としては業務を受ける側。だから前任者から知識を頂戴する立場だったわけなのだが、前任者からは【前任者が自己満足するだけの引継ぎ】が行われた。
そんな引継ぎは目次もない。引継資料もない。質問に対する回答も返ってこない。Do?で聞いた質問にYES/NOの回答が返ってくるのは1.5日後。そんな伝言ゲームだけで制限時間内に答えに辿り着くはずがない。まさにデューイが言うように、知識が不可解で当惑させるものに意味を与えるために用いられることから切り離された状態が目視できた引継ぎだった。
最終的に会話が成立しなくなり、我慢できなくなった私がブチギレ、部長から継続不可と判断された結果、引継ぎは書面で行われる運びとなった。
大炎上当日の私としては内面ブチギレなのに、表情としては涙が止まらなくなり、本当に情緒不安定にさせられたと感じた一件だった。まじふざけんなである。「あーもう現状が回復しない」ってぶち当たると、感じてる事って言わなくても身体に出ちゃうのね。自分ではメンタルフワちゃん並みだと自負していても、ぶっ壊れるときは気付いたら壊れている。病みからの脱出に必要なのはレジリエンスだとつくづく思う。
にしても、今回の引継ぎは本当に本当に酷かったんだよ。ちょっと書く気になったので書くと、引継ぎを受ける側が「いつ・何の項目を引継ぐかスケジュールを組め」という無謀な依頼から始まり、「月20時間かかるから」と言う割に、その内訳を開示しない。20時間の根拠がない。
挙句、参考資料が出てきたと思ったら、その隣に書き始めた計算式の答えと一致せず、「答え合わせ出来ないですね、なんでですか?」と聞いたら「私のことが信用出来ないならもう教えられない!」とご乱心。そして沈黙。
50歳近くの係長からの引継だから経験も知識もあって最高そう!なんて甘く構えていた私がバカだった。世の中には実務がパーフェクトなのに、引継ぎに向いてない人間がいる。
これを教訓に精進します云々なんて馬鹿げているので絶対言わない。が、デューイとかJ•Sミルとかキルケゴールとかショーペンハウアーを読んでなかったらここで「そういうものだ。耐えるしかないんだこれからも。」なんて悲観的に悟りを開いていたことだろう。私にとっての知識がこの人達の本でよかった。不可解で当惑させるものに意味を与えるために用いる事ができたよ!
最近読んでいないけど、ニーチェに始まり、ショーペンハウアー、デューイなどなどに辿り着くはじめの1歩となったのが適菜収さんの本。なんでか1円で売られてる。笑
適菜さんは「ダメなものにダメということ」が大事なんだって散々繰り返していたけど、本当にそうだと思う。最後にデューイで締めます。