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Vol.10 真野 直紀

日頃からSS伊豆を支え、温かいご支援、熱い応援をしていただいているスポンサー企業の皆様、サポーターの方々。

この場をお借りして、改めて厚く御礼申し上げます。

 

今シーズンよりFC.ISE-SHIMAから加入しました、SS伊豆 背番号11番 真野直紀 と申します。

静岡県駿東郡清水町出身の31歳です。

人生初のnote ですが、なかなか自分の人生を語る機会は少ないと思うので長いですが学生時代のこと、そして今まで話したことがないような事を今回知ってもらう機会になればと思います。

 

私がサッカーを始めたきっかけは、父がサッカーをしていたからです。

父は三浦知良選手が大好きで、いつも一緒に試合を見ていました。

代表戦を見ている時はめちゃくちゃ盛り上がったし、父が選手として所属しているチームでも11番をつけてプレーをしていました。

そんな背中を見て、私はサッカーに引き込まれ、プロサッカー選手になりたい、日本代表になりたいと思いサッカーを始めました。

 

幼稚園の頃から半端ない問題児で、園内で行方不明になったと思ったら、木のてっぺんで発見されたり、小1で反省文を書いたり小学生の間も毎日のように友達と喧嘩ばかりしていて、サッカーも私生活も両親に厳しく指導されました。

 

性格がやんちゃ故なのか、サッカーも勉強も何事もとても負けず嫌いだったので、ひたすら家の前で壁パスをしたり、リフティングの練習をしていました。

中学からは中高一貫教育の加藤学園暁秀中学校に進学したいと自分から思ったのですが、頭が良くなければ入れなかったので、塾に通い、一生懸命勉強に取り組み、中学受験を経て無事合格、入学をしました。

 

中、高のサッカー部では、部員数も少なく、昔から静岡の有望な選手は中部、西部に流れてしまう傾向があったので、県内でも正直東部地域の自分達は下に見られることが多々ありました。

それでも厳しい練習の日々を過ごし、高校2年の時には秋田国体の静岡県選抜、ナショナルトレセン、3年の時の新人戦では県で準優勝したり、SBSカップの静岡県選抜にも選んで頂き、改めて、プロになりたい、もっと上に行きたいと感じれる場でもありました。

 

大学は高校の恩師の繋がりもあり、駒澤大学に進学をしました。

全国常連校、ユース、当たり前にそんな選手たちが集まる場所で寮生活をしながら過ごす。

その生活はとても厳しい環境でした。

とにかく走って、走って、走って厳しくきつかったのは間違いないです。

選手個人として結果を残すことはできなったのですが、入学当初からトップチームで学べて、

仲間の為に自分を犠牲にする

誰の為に何をするのか

人としてあるべき姿。

サッカーの事だけではなく、人生に置き換えた時にも非常に大切なことを学べた4年間であったと思います。

 

ここからは自分が


背番号11番

を大切に想う理由といつも使っている

常に共に


という言葉の個人的な真意を書きたいと思います。

自分がサッカーを始めたきっかけは父と冒頭に話をしましたが、私は24歳の時に父を病気で亡くしています。自分から話すことはほとんどなかったので知らなかった人もいるかとは思います。

改めて話すことではないのかもしれませんが、今の自分とまたしっかりと向き合う為でも、この場で真野直紀を深く知ってもらえる機会ではと思い、話させてもらいます。


父の病気は私が大学3年の9月にわかり、その時の自分は正直どこかそんなはずはない、絶対に大丈夫だと信じていました。

大学卒業後に加入をすることになったアスルクラロ沼津も、父が当時の社長と同級生だったのもあり、近くでまだ夢を追いながらプレーできる環境を与えてもらえたのが加入したきっかけです。

チームはJFLにあがり、監督とメンバーも大幅に変わり、プロ選手がレンタルで来たり、有名な選手が加入してきたりもしました。

最初は出場機会も少なくなりましたが、徐々に信頼して使ってもらえるようになり、先発で出る試合も増えました。

毎日、毎試合、父には報告をし、褒めてもらったり、アドバイスをもらったりしていました。

しかしそんな中、父の体調は悪くなっていき、年明けからは病院で過ごす時間が増えていきました。

父が亡くなる前日が2月10日の私の誕生日だったのですが、前々日に私自身が試合中に脳震盪をおこして入院をしていました。

父にはそれは伝えていませんでしたが、誕生日当日に私が退院する事ができ、姉と私は誕生日が一緒なので、家族全員でその日を祝うことが出来ました。

当日の夜中にもめちゃくちゃ苦しかったはずなのに、私達2人にLINEをくれていました。

誕生日をまたいだ次の日に父とお別れになりましたが、自分達が来るのを待ってくれていたのだと思っています。最期を迎えた日は父の大好きな三浦選手の背番号の11日でした。

死ぬほど泣いたし、過去を想ったし、今でも寂しいと想うことももちろんありますが、誰よりも自分の憧れで尊敬した父が好きでつけていた11番を自身が身につけてプレーをしたいと思ったし、そんな姿を家族にもたくさん見てもらいたかったからその年からずっと個人的に一生忘れない想いを背負って、11番をつけさせてもらっています。


 

父の想いと、Jリーグに上がる為に決意新たに11番をつけて臨んだシーズン開幕戦後の週の紅白戦で右膝の前十字靭帯を断裂をしました。

人生初めての大怪我が最悪のタイミングで起きて、正直 もう無理なんじゃないか とも思ったし、  なんで自分が  という絶望や苦しさで挫けそうになってしまったけれど、そんな時に近くで支えてくれた家族、仲間、スタッフの温かさが自分を奮い立たせ、前を向かせてくれました。


私が入院している時、勝った試合後に自分のユニを着てくれたり、長文の連絡をくれたり、どんな時もモチベーションを仲間が常に上げてくれました。

自分1人では間違いなく乗り越えられなかったし、たくさんの支えがあって今の自分がいるという感謝、この想いはずっとこの先の出逢いを重ねていってもずっと共にあると思って、個人的に

常に共にという言葉を使ってきています。

アスルクラロ沼津の選手として、Jの舞台にはたてなかったけど、最高の仲間と地元にJリーグのチームを作れた事に関われたことは今も誇らしく思っています。

 

その後、FC刈谷とFC.ISE-SHIMAで長い時間をそれぞれ過ごさせてもらいましたが、仲間にもサポーターにも本当に私は恵まれているなと思っています。

家族より実際過ごす時間も多く、苦しいこともぶつかり合う事もたくさんあった中で、家族みたいに話すことが出来て、一緒に笑い合える仲間、心から信頼できる大好きな仲間に出逢えた事が自分の一生の財産です。

どこにいてもこれからもみんなとずっと繋がってると私は思っています。

 

そして今年から長らく縁があって加入する事になった、SS伊豆。

父の生まれは西伊豆です。

このチームにも共に目標を持ち、熱く楽しく、本気で向き合える最高の仲間達がいます。

私も若い世代ではなくなってきてはいますが、少なからず自分が経験してきたことをチームに還元しながら、まず今年 全員で東海昇格の為に、

魂込めて全力で

歩んで行きたいと思っています。

 

長くはなってしまいましたが SS伊豆に

そして 真野直紀 にも

ぜひ大いに巻き込まれて頂き、期待して頂き、

これからも熱い熱い応援を皆様どうぞ、宜しくお願い致します!!

 

魂込めて全力で

 

常に共に   #11



次は 熱い魂際を感じる事が出来る 江口隼人 選手 でお願いします!

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