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Vol 25 青木 亮太

はじめに、サポーターの皆様、スポンサーの皆様、SS伊豆に関わる全ての皆様に常日頃からのご支援ご声援に感謝致します。

今回担当させていただく、
背番号 8番 青木亮太です!

現在は、右膝前十字靭帯を再断裂して約2年の長期離脱中なので、まだお会いしたことがない方もいると思いますが、試合に足を運んでいただいた際等に、
見かけたら声をかけていただけたら嬉しいです。

ですが、知らない人に声をかけたりはしないと思います。
なのでこの場で少しでも知っていただけるように自分のサッカー人生を振り返りながら少しでも知っていただける機会になればとおもいます。

〜 小学生 〜
 小学3年生の時に薬園台SCという、小学校の部活動にはいりました。
その時は、ただひたすらに走ってボールを蹴るだけで楽しくて毎日朝練と夕方の2時間のチームでの練習を終えてから帰っても1人で練習をずっとしてました。
ただひたすらに楽しんでいたら4年生になる前には6年生の試合にも少し出れるようになりました。
 小学5年生の春に時に船橋市のトレセンのセレクションを受けさせていただいたのですが、前日に喘息の発作がでて走ることすら困難な中、受けて当然のように落ちました。
その悔しさがバネになり秋にもあるセレクションに合格し、それからトレセンの中から全国大会を目指す船橋FCの18人にも選ばれ、全国少年サッカー大会では千葉県を優勝し、全国大会にもでれました。
 その結果、船橋市の姉妹都市でもあるデンマーク🇩🇰のオーデンセ市とのサッカー交流で初の海外ヨーロッパに行き向こうの中学生と試合をしました。
自分は背も低く130cmちょいしかないなか
センターバックをしていて、
身体能力から、なにからなにまで全く叶わなくて
悔しかったですがすごくいい経験ができた。

〜 中学生 〜
 中学生になり、FC習志野というチームにはいりました。
 1年生の時の記憶はあまりなく、2年生の時に3年生の関東大会のメンバーにいれていただいていました。
ですが、大会前の韓国遠征から帰国した次の日に朝起きたら足首に力が入らなくて部屋で立ち上がった瞬間にバキッと音と共に倒れ、疲労骨折をしました。
その辺りから自分は怪我が増えて、怪我と共に歩んでいくサッカー人生に大事な時にチャンスを逃して行くことが増えました。
身長も20cmちょい身長が伸びて体が自分のじゃないみたいに動かなかったり、体が痛かったりであまりいい思い出がない。
 3年生になり、自分達が1番上の学年になってから、初めてサッカーをしていて試合に出たくない感情に抱かれたり、試合にでてもボールに触れたくないと思う時がありました。
それについては、文章では表せない気持ちなので
そういうことがありました程度。

〜 高校 〜
 東京学館高校サッカー部に入学しました。
全校生徒の6人に1人がサッカー部と言われ学校の不祥事はサッカー部と言われるほど多く、150人くらいでした。
 高校を選んだ理由は、学校が人工芝であることが1番。
それと、小学生の時に船橋FCの時からFC習志野まで同じチームにいた友とサッカーをしたいという思いがあり、選びました。
高校はすごくキツい練習しかしてない記憶。
毎日サッカーの練習後に陸上部より走るし、スパイクでグランドに行くのかランニングシューズなのか聞いてからグランドに行く。
何かあったら坊主。
でも、今までで1番チーム全員が同じベクトルを向いていて愛されるチームであった。
そして、この高校を卒業してやり切れたので大抵の事は怖いものはないと思えるくらいキツかった思い出だ。

〜 大学 〜
 江戸川大学サッカー部に入学しました。
今までのサッカー人生の中で1番、サッカーをしたなと感じました。
 それは、すごくいい仲間に出会えたことと、監督の意向で大学生は半分大人だから、強制することはなく
甘えるのも自由、ちゃんとやるのも自由。
自分で判断をすることを大事にしていた方針が自分にあっていたからだと思っている。
練習ではONとOFFがハッキリしていて本当に楽しかった4年間でした!
 トップチームで練習等はしていたものの、試合は基本はBチームで、トップチームでは2試合くらいしかでれませんでした。
ですが、Bチームの監督は元ジェフ千葉の選手のかたで
沢山のことを学ばせていただきました。
それが自分の中でサッカーの本質であったりを学ばせていただけていい経験になりました。
 3年生と4年生の時にチームは県リーグで優勝し関東入れ替え戦にも出場しました。
すごく嬉しく喜びましたが、出なれないジレンマと日々悔しい思いもしました。

〜 SS伊豆 〜
 大学が終わり、周りが就活する中で自分はサッカーをまだ本気でやりたい!
この気持ちが強くあり、それは大学の時に試合に出れなかった悔しい思いが多くあったからだ。
その中で色々なチームに練習参加をさせてもらいました。
どのチームも、自分達がやりたい事があり、マニュアル通りしかやらないのが面白くなかった。
チームのやり方があるのは理解しているが、それができない状況にあってもやり続けてるのが自分には理解できなくて、なにもワクワクしないでチームを決め兼ねていた。
 そんな中、大学の友達からSS伊豆の事を聞き
連絡をして練習参加をさせてもらいました。
そこで初めてワクワクした。
他のチームと違い、上を目指そうという思いや、サッカーが好きという気持ちがみんなにあり、ここでサッカーしたいと思いました。
 入団当初はコロナウイルスの影響で思うような日々はおくれませんでした。
やっとの思いでリーグ戦が始まり、いいシーズンを過ごしていました。
しかし、
11月頃、右膝内側側副靱帯損傷、全治2ヶ月。
2月頃、右膝前十字靭帯損傷、全治10〜12ヶ月。
ここで人生ではじめての手術をすることになる。
今までにない感情がでてきて、手術もすぐには決められなかった。それ以前に何も考えられなかった。
その時に、同期の背番号3番の勇斗も同じ怪我をしていて色々と相談にのってもらったり話を聞いてもらった。
同じ怪我をしたからこそ分かることや、気持ちを共有できた。
本当に感謝しかない。ありがとう!
 そして、1年間リハビリをして復帰した試合の
3月、右膝前十字靭帯再断裂。
接触した瞬間に、真っ暗になった。
サッカー人生も終わったと思ってしまった。
みんなの前では普通にしてたつもりだけど、1人になった瞬間から涙が止まらなかった。
みんなに声をかけてもらったり、個別で連絡をくれた選手にも感謝しかありません。
 そして、チームからいただいた動画をみて絶対この場所に戻ろうと思えた。
この怪我は手術もリハビリも大変だけど、それに伴いメンタル面も大切だ。
プロでもない自分に、家族、彼女、サッカーの友達、小学生の時からの友達、連絡をいただいて、自分は恵まれてるなと思った。
 このリハビリ期間を得て、強くなって戻る。
長くチームに迷惑をかけた分、戻った時に力になれるよう毎日を大切にしたいと思う。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
SS伊豆の応援をこれからもよろしくお願い致します。

次回は 背番号19番 キャプテン根本海斗選手です!

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