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Vol.22 河村 太郎

SS伊豆を支えて頂いてるスポンサー企業の皆様、サポーターの皆様、SS伊豆に関わる全ての皆様、日頃からご支援、ご声援ありがとうございます。

今後もSS伊豆への変わらぬご声援よろしくお願い致します。
今回のnoteを担当させて頂く事になりました
背番号26 河村太郎です。

1987年6月30日生まれ、出身は東京都杉並区です。

みんなと同じように今までのサッカー人生を書かせて頂きます。
といってもサッカーを始めて30年近くが経ち
移籍も多く経験してきたので、今までの所属チームと自分の何回かあるターニングポイントのうちの1つを振り返られればと思いますのでよろしくお願い致します。

サッカーを始めたのは小学生の時で、そこから
杉十小SC
昌大SC
駒場学園高校
日本工学院Fマリノス
徳島ヴォルティスセカンド
サウルコス福井
日本工学院Fマリノス
東京23FC
Adelaide City FC
West Torrens Birkalla SC
ZION FC
に所属し、現在のSS伊豆に入団しました。
高校まで選抜やトレセンとは無縁で
東京都でベスト16が精一杯のチームでした。

高校では本格的に麻雀を楽しみ始め、朝の教室でみんなで打っていたら先生にめちゃくちゃ怒られました。

高校卒業後は、スポーツ系の専門学校へ
ちなみに
専門学校の時のあだ名は
色黒で足が速いこともありディープインパクト。時代を感じますね。

前置きが長くなってしまいましたが、
何回かあったターニングポイントのうち、今でも楽しくサッカーを続けられている理由になっていると思うことについて書いていきます。

それは自分が22歳の時、所属は徳島ヴォルティスセカンドでした。
チームは全員が20歳〜24歳と若く、歳が近くとても仲が良かったです。
毎週土曜には先輩とお気に入りのうどん屋にいって、日曜は試合が終わればお酒買ってみんなで呑んでました。
うどんと言えば香川ですが、お隣の徳島もとても美味しいです。

この頃は麻雀の他にもボーリングにハマっていて
ベストスコアは232です。

SS伊豆の代表、片岡大輔さんとの出会いもこのチーム。
この頃はチームメイトで、今と変わらず、熱くてうるさくて、ドリブルはクネクネしてました。

すみません、話が逸れてしまいました。

このチームの良さはなんといっても一体感。
個人のレベルも高かったですが、
チームの目標=JFL昇格
個人の目標=トップ昇格
この2つがしっかりあったのでブレることがなかったです。
あとみんなお金がなかった。
ほぼ全員が県外出身で朝の練習が終わったあとにバイトをしていたので、
お金もない、遊ぶ時間もない。
サッカーをがんばるしかない環境でした。
そしてトップにも負けない熱いサポーターの方も沢山いました。

その中でのリーグ戦、当時はまだ四国リーグにいたカマタマーレ讃岐との優勝争い。
前期の直接対決はホームで2-0勝ち
引き分け以上で優勝のアウェーでの最終節
0-0で迎えた後半に1人退場者を出し劣勢
残り時間も少ない中でCKを獲得して、コーナーでのキープも考えられる状況で、監督の指示は
『中で勝負しろ』
2枚しか入っていない味方にピンポイントで合わせてゴール。
全員で喜びを爆発させます。
このシーンは今でも鮮明に覚えています。

そこからはあまり覚えていませんが、
たしかラスト5分くらいで片岡大輔が出てきたと思います。熱かったです。
いや、暑苦しかったです。

そのままとにかく守って1-0で試合は終わり、
優勝。
出てる人も、出てない人も、スタッフも、サポーターの方も全員で喜びました。
この一体感は忘れられません。

地域決勝は勝ち上がれませんでしたが、この経験が今でもサッカーを続けている理由だと思います。
この一体感、この喜びをまた味わいたい。
その思いで。

SS伊豆でこの感覚を味わえるように
日々努力していきます。

長くなってしまいましたが最後に、
選手だけでなく、スタッフ、サポーター、スポンサーの皆様が1つになり、全員で喜びを感じられるチームにしていければと思いますので、今後とも応援の程よろしくお願いします。

次回は16個下の背番号31
池田航太選手です。

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