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Vol.7 佐藤 藍

まず初めに
コロナウイルスの影響で活動制限がかかるようなご時世ながら、現地まで足を運んでくださっているサポーターの方々、スポンサーの方々、さらには新規スポンサー契約、増額、更新、クラブアンカーズ入会等チームを支えていただきありがとうございます。
この場を借りて熱く御礼申し上げます
今季もSS伊豆への変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。

今回noteを担当させていただきます。
背番号13番 佐藤藍です。
よろしくお願いします。

それは、去年のクリスマス。
父親からの連絡だった。
「おじいちゃんが脳梗塞で倒れた」と。


小さい頃からずっと祖父母、両親と三世帯で住んでいて、共働きということもありおじいちゃん、おばあちゃんっ子で育った僕は胸が張り裂けるような思いだった

僕は西伊豆町で生まれ育った。海は美しく、大自然に囲まれている
隣町の松崎町は、なまこ壁やセカチューでお馴染みの『世界の中心で愛を叫ぶ』のロケ地になるほど、景色の素晴らしい町だった。ただ、それ以外何もなく、若者は働き場を求めて、都会に出て行く、県下でも高齢化率が高い町だ。

サッカー王国静岡と言われるが、この伊豆、東部地区は、サッカー後進地域で、
実際のところ
サッカーチームも少なく
専用サッカーグランドもなかった。
サッカーを続けたくても続けにくいという現状の中で僕はサッカーを始めた。

小学2年生の時に地元の少年団に入り、6年生まで地元の大会では敵なしで、毎年のように優勝していた
だが、僕たちの少年団は県のサッカー協会に登録しておらず、全国大会につながるような大きな大会の予選にすら出ることはできなかった。

もっと強い相手と戦いたい

全国大会に出場したい

そう思い小学四年生からは地元で有力なクラブチームにも入り両立することになった
地元といってもそのクラブチームの練習場まで約1時間。電車もない田舎町なので、両親や監督に送迎をしてもらい通うことができた 
当時を振り返ると本当にありがたかった。

クラブチームに入ったことで静岡県の中部や西部、県外にも数多く遠征に行った
地元では負けた記憶がなかったので天狗になっていたが、その鼻は簡単にポッキリ折られた
試合をすれば大量失点は当たり前
当然ながら全国大会などには出場することは叶わなかった

もっと上手くなりたい

もっと強くなってこの悔しさを中学でぶつけたい

そんな思いがあったが
通う中学校にはサッカー部はない
もちろん中学生のクラブチームも伊豆にはないというのが現状だったが、サッカーを続けたいという思いから小学校の頃のクラブチームの監督がチームを作ってくださり、一期生としてスタートすることができた。だか使用できるのは中学校のグランド
土ということもあり雨が降れば練習は中止
小学生と中学生全員で使用するのでスペースは限られていた
試合をしても大敗で負ける試合が多くとても悔しい思いをした

なので高校を選ぶ条件として、人工芝のグランドで練習ができることと全国大会を狙える高校に行きたいと思い山梨県にある日本航空高校に入学を決めた

親元を離れての寮生活で毎日サッカーに打ち込んだ

入学と同時に全国各地から集まってくる先輩や同期のレベルの高さに驚き衝撃を受けた

だか、都会のエリート達に負けてたまるかと反骨心が生まれた

結果的に全国大会には出場できなかったが間違えなく、今までの人生で最も過酷な3年間だった

大学ではトップチームで活動したいたもののコンスタントに試合に出場していたわけではない

ただ光栄なことに毎試合メンバーには入っていた

ただ、それがきつかった

メンバーには入るものの
盛り上げ隊長、声出し要因
とイジられることも多々あった
もともとチームを盛り上げる、雰囲気を良くすることは好きだ
なので、人前では笑顔で振る舞い、チームの雰囲気が少しでも良くなる努力をした

だが、選手でやる以上は常に試合に出たいと言う気持ちがある

とても葛藤があった

カテゴリーを下げてでもいいから試合に出たい。
そんなことさえ思ってしまった

今考えれば、これはいらないプライドだ
ダサくて、カッコ悪い
自分ができることは毎日の練習で常に手を抜かずに100%でやることだけだった。
さらに練習以外の時間をどう使うかだ

大学生というのは自分次第でたくさん時間が作れて、バイト先のスポーツジムで就業後や休みの日には筋トレをやらせてもらった

さらに、「ハイアルチ」という高地トレーニングの環境が整うジムに、片道1時間かけて通った。
何人かの後輩も、その「ハイアルチ」に興味を持ってくれて、自分と共に汗を流した。
卒業後も、その後輩たちの活躍を聞くのがとても嬉しい。

大学では、自分を認めてくれるスタッフの方々がいた。
一年時から厳しく指導してもらい、サッカーの技術や戦術はもちろん、取り組む姿勢などを学んだ

さらには試合前や練習前に頑張れよ。と声をかけてくれるコーチもいた
ささやかな言葉であったが、自分は、その言葉がとても嬉しかった。
四年時にはコーチの推薦もあり、JリーグのクラブやJFLのクラブなどの練習参加をさせてもらった
ほとんどの人が無謀だと思うチャレンジを応援してくれて一緒に戦ってくれた。
とても心強かった。


ひたむきに頑張っていれば、応援してくれる人がいる。

自分のために頑張るのは限度があるし甘えが出てしまうが、

応援してくれる人がいればその人のためにも頑張ろうと思える自分がいた。

結果的に合格することはできなかったが、夢に向かってチャレンジする毎日はとても刺激的で楽しかった
そして夢を叶えるというのはそんな簡単なことではないことを身をもって感じた。

結果が全ての世界だった。
努力したことも成功しなければ
意味がなかった。

僕のチャレンジは失敗に終わった。
だがこの失敗をこれからの人生の糧にしようと思った。

全ては自分次第だということを学んだ

まだまだ大好きなサッカーを続けたいという思いが強く、卒業後の進路を考えている中で、祖父母の顔が思い浮かんだ
少しでも近くにいてあげたいと思い、チームの代表でもある片岡さんに連絡をとりSS伊豆の練習参加をさせてもらい、入団させてもらうことになった

そして祖父母をはじめとする多くの地域のおじいちゃん、おばあちゃんたちの介護技術を学びたいという思いから、スポンサーであるデイサービスセンターglobeで働かせてもらうことになった。

周りの友達からは

「介護なんかよくやるな」

「絶対きついだろ」

などとマイナスなことを言われることが多かった

このように介護職には多くの偏見があると思う

ただやってみるとそんなこともないと思う
もちろん合う合わないはあると思うが
僕はとても楽しくとてもやりがいを感じる。
平均年齢90歳を超えた利用者さんのお話は僕の短い人生では経験していないことをたくさん学ぶことができるとても貴重な時間だ 
まるで、自伝を何冊も読んでいるみたいだ

さらに社長を含め一緒に働いている方々にはとても感謝している

SS伊豆の活動も快く理解してくれていて、仕事終わりには、「今日も練習がんばってね」と送り出してくれる。

いつか職場の方々と利用者さんを試合に招待したいと思う


僕たちはサッカーだけをしているわけではない。
サッカーをしながらスポンサーの会社で正社員として働いている。
仕事後の夜に練習を。休みの日に試合を行なっている社会人アスリートだ。


正直な話、仕事をしながらサッカーをするなんて中途半端だと思っていた。
しかし、そんなことを思っていた自分自身がとても恥ずかしいと今は思う
日中は真剣に仕事をして、夜になるとヘトヘトな体にムチを打って本気でトレーニングをする毎日。
日曜日には試合があり勝ち負けにこだわる勝負をする。
選手の中には奥さんや子どもの声援を背に、グラウンドでプレーするものもいる。
こんなに熱くかっこいい集団はなかなかいないと思う。


さらに時間を見つけては、チラシ配りやビーチクリーンなどの奉仕活動も行なっている。

チームの活動に協力いただいたり、スポンサーになっていただけることがこんなにも有難いことかと学ぶことがある。


ある日、globeの石井社長に僕の名前、藍をもじって、こんなことを言われた。

「青は藍より出でて藍より青し」

急に何を言っているんだ?

僕は全く意味がわからなかった。
キョトンとした顔の僕を見ると社長は意味を教えてくれた。

この言葉は、中国の故事成語で、青い染料は植物の藍からとれるそうで、
その言葉の意味は、学ぶことを続ければ、すぐれた効果を上げるということ。
弟子が師を越えることの例えに使われるそうだ。

とても心に響いた。
これからも謙虚な姿勢で学び、たくさんのことを経験していきたい。
そして、片岡代表や石井社長を超えることが一番の恩返しだと思うので個人としてもチームとしても、もっと大きな存在になれように日々努力していきたいと思う。


最後に

5月1日から、とうとうリーグ戦が開幕します

悲願の東海リーグ昇格!

全勝優勝!

新加入の立場ですが、今年のSS伊豆は、別格な存在だと皆さんに思われるように、思い切り戦いたいと思います!

なので、試合会場を伊豆ブルーで染めてください!
皆さんの声援が僕たちの活力です!
そして12月東海リーグに昇格してSS伊豆ファミリー全員で笑いましょう!

次回は同じく新加入の阿部幹太選手です

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