モウリーニョが、「スペシャル」でなくなった時

「ジョゼ・モウリーニョと話した末、契約は今シーズン限りで契約を打ち切ることとしました。私達は適切な時と判断しました。マドリーの取締役会を代表して、ジョゼ・モウリーニョの仕事に感謝します。彼によってスポーツ面、コンペティティブな面において飛躍を遂げることが出来ました。彼の新たなステージでの幸運を祈ります。誰かが誰かを解任したのではありません、相互合意によるものなのです。」

2013年5月20日。フロレンティーノは深い溜め息のあと、サンティアゴ・ベルナベウのパルコにて、ジョゼ・モウリーニョと袂を分かつことを発表した。
12-13シーズンのリーガは、まだ6月1日の最終節のオサスナ戦が残っている状態だった。
しかし、このとき既に、GMのホセ・アンヘル・サンチェスは既にパリに赴き、パリのアル・ケラフィ会長と次期監督候補であったカルロ・アンチェロッティについて、話し合いは持たれていた。
カルロとパリとの契約は残り1年が残っていた。

ちょうど1年前、ジョゼ・モウリーニョはマドリーでの頂点を迎えていた。
彼はインテルで3冠を達成し、世界最高の監督としてマドリーに招かれた。
2020年現在、"Special Once" (かつてスペシャル) と英国でチャントされる男は、当時は確かに、スペシャル・ワンだった。
CLでは2年連続でベスト4も、ペップ・グアルディオラの絶頂期のバルセロナを上回り、リーガを制した。勝ち点は100、得点数121。今でもリーガ最高の記録である。

しかし、彼にとってのレアル・マドリーでの良い時間は長くは続かなかった。
たった1年ですべては暗転した。いや、厳密には、栄光のシーズン開始から数ヶ月で、チームは完全崩壊することとなる。

この文章は、当時の記録である。

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