ナポリのスクデットの瞬間、どんな感情が襲ってくると思いますか?
約1年ぶりのブログ更新となるが、その間にナポリは悲願のスクデットに向けて邁進を続け、気がつけばそれまで後1歩のところまで来た。
さて、このタイミングで何を書こうか迷ったのだが、スクデットという長年の夢が成就するのを前に、敢えて僕がナポリを応援している理由について触れようと思う。10年近く応援してきた中で、心躍るほど良い時期もあれば、延々と続く地獄のような悪い時期もあった。そんな中で、ナポリに心を大きく揺さぶられるような瞬間もあったが、それを含めて、一瞬一瞬の積み重ねによる、クラブにとっては33年ぶりのスクデットだ。こと僕にとっては、おそらく約10年越しの願いが成就するわけである。
■チェルシー戦
11-12シーズンのヒトコマである。チャンピオンズ・リーグ(CL)のラウンド16。チェルシーとのゲーム。ホームでの3‐1。エディンソン・カバーニとエセキエル・ラベッシが前線で猛威を振るい、マレク・ハムシクがそれを支え、昇格後初のCLの舞台で躍動。当時のサン・パオロが熱狂の渦と化していた。アウェイでの1‐4。ギョクハン・インレルが素晴らしいミドルシュートを叩き込んでベスト8への希望を見せ、2戦合計で同点に追いつかれた後はGKモルガン・デ・サンクティス中心に奮闘。延長の末敗れはしたが、当時はまだおそらくプロヴィンチャの枠を出ていなかったナポリの、プレミアの強豪を相手にしたその戦いぶりが胸を打った。
■これまでを振り返って
と、過去の試合をあたかもリアルで見ていたかのような描写をしてみたが、そんなこともなく、当時のスポルトでのダイジェストを見ていただけの話(後にフルで視聴を果たすが、それはまだ先の話)だ。それでもここから、僕とナポリの蜜月は始まった。ワルテル・マッツァーリが率いたチームは、CL決勝トーナメントでチェルシーと対戦する前には、グループステージでバイエルン・ミュンヘン、マンチェスター・シティ、ビジャレアルという難敵が揃うグループを2位で通過。セリエA昇格から徐々にCLの舞台まで這いあがった勢いを、ピッチ上で力に変換しながら強豪を喰らう姿はまさしくサッカーの醍醐味の一つでもあるように思えた。しかし、周囲の期待に反して時に脆く崩れてしまう危うさをチームの根本に併せ持っているのが、ナポリのもう一つの姿でもある。ひとつのチームでありながらも、その部分にどこか人間的な部分が垣間見え、おそらくそれもナポリに惹かれる要因の一つになったに違いない。
マッツァーリの後、ラファエル・ベニテス、マウリツィオ・サッリと徐々にポゼッション主体のチームへと変貌を遂げていき、イタリア国内のみならず、欧州でも徐々に名声を高めていっても根本的なその姿は決して変わってはいなかった。CL出場権獲得を目前にした状況でゴンサロ・イグアインがPKを失敗したのは、14‐15シーズンの最終節ラツィオ戦。スクデットを賭けたユヴェントスとの首位攻防戦で、カリドゥ・クリバリ素晴らしいヘディングシュート叩き込んで勝利したにも関わらず、脆くも0ー3で崩れ去った翌節のフィオレンティーナ戦は、17‐18シーズン。CLの舞台に目を移せば、アルカディウシュ・ミリクがゲーム終盤にビッグチャンスを逸して苦汁を呑んだ過去もあれば、勝ち点12を稼いでもノックラウンド・ステージに進めなかったこともある。
これら一連の出来事は、ボールを支配して相手を崩すというナポリのアイデンティティが確立されていった時期でもあり、主導権を握って勝利を狙うという、弱者の戦い方から脱皮したという意味ではクラブの成長(ひいては今季のスクデット)に大きく寄与している。だが、こうした一連の出来事を振り返ってみると、やはりナポリというクラブの脆さも垣間見える。
その中でも、ロレンツォ・インシーニェ。彼についてどうしても触れざるを得ない。マッツァーリの時代にはじまり、現在のルチアーノ・スパレッティに率いられる時代に至るまで、長きにわたってチームの顔としてプレーし、ファンからの大きな期待を背負い続けてきた背番号24。だが時にその期待が重荷になりすぎたのか、試合ごとの好不調の波は激しく、手が付けられないプレーを連発する時もあれば、シュートは打てども枠にすら飛ばない時もあり、まさしくジェットコースターのよう。そんな彼がハムシク退団後はカピターノとしてチームをまとめ、牽引する姿を見て、時代に移り変わりを実感した人もいただろう。ナポリ出身である彼が年長者としてキャプテンの座を受け継ぐというのはごくごく自然な成り行きだった。しかし、改めて振り返ると彼のそのプレーの波の激しさ、また時には感情的な振る舞いをする精神的な未熟さ、それらがナポリというクラブの脆さとリンクしていたようにも思える。ナポリの街で生まれ育った彼のそんな一面が、まさしくクラブの根本を表していたのは、彼にとっては皮肉のようにも思えるかもしれないが…。
そして、そんな彼が涙ながらにチームを去った翌シーズンにスクデットを獲得しようとしている。腕章を巻くのはイタリア代表でも共にプレーしたジョヴァンニ・ディ・ロレンツォ。そのプレーぶりはインシーニェとポジションこそ全く異なるものの、堅実かつマメであり、安定感の塊だ。これまでのナポリらしからぬパーソナリティを兼ね備えた彼を中心に組まれたチームでスクデットに手が届きそうだという事実もまた、インシーニェにとっては皮肉的であると言えるかもしれない。
■さいごに
それでも、忘れてはならないのは、インシーニェのような選手がプレーしてきた瞬間にも、僕たちは大きな喜びや感動を味わせてもらってきたことだ(僕がナポリを応援していて恐らく最も喜んだゴールは、絶不調に喘いでいた19‐20シーズンの対ユヴェントス戦(○2‐1)、試合終盤のインシーニェの見事なボレーシュートである)。時には脆くも崩れ去る最悪な瞬間も経験しながらも、やはり彼をはじめ、ハムシク、カバーニ、ドリース・メルテンス、クリバリ…。残念ながらここでは割愛せざるを得ないが、それ以外にも数多くの選手がナポリに愛を示し、時に躓きながらも期待に応え、応援することに価値や喜びを見出してくれたのが何よりも嬉しかった(それだけではなく、その後の現実生活までもポジティブな気持ちにさせてくれた)。決して観ていて楽しい瞬間ばかりではなかったのも事実だが、インシーニェに象徴されるような、そういった人間味に溢れたチームだったからこそ、ここまで観て、感情を揺さぶられ、応援を続けてこられたのかもしれない…。
そして、今週末か、それとも来週末か。それらの一瞬一瞬を積み重ねてきた先にあるスクデットの瞬間に、果たしてどんな感情が襲ってくるのだろうか?恐らくだが、これまで触れてきたナポリの性質上、何度も連続で、もしくは定期的にスクデットを獲得できるようなクラブではないし、歴史もそれを示しているからこそ、まもなく訪れるその瞬間までをより丁寧に噛みしめながら、試合を観たい。そう思いながらその瞬間を待つばかりだ。
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