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地球交響曲 第9番 懐かしの第九

音楽は創造主(大いなる意志、ガイア、神)からのギフト

龍村仁監督の地球交響曲シリーズ、最後のテーマは再び人類と音楽だった。
我々はなぜこれほどまで音楽に耳を傾けるのだろうか、と言うテーマを小林研一郎を通して、私たちに伝える。

小林研一郎のベートーヴェンへの愛、全開であった。ベートーヴェンが交響曲第9番に込めた思いを引き出すべく、練習中のコバケンは厳しかった。こんなにまで人をこき下ろすか、と言うくらい、できない人を叱り、「第九」への思いを団員にぶつけていた。「オケは素材、引き出すのは指揮者」と言う、自分に課された使命を果たそうとする強い思いを見た。

「ベートーヴェンの最高の祈りの場所にしたいのです。世界中のオーケストラがそれをやっていないので」

厳しい注文の後、素晴らしいパフォーマンスが生まれるとコバケンは「ありがとう!」と叫んだ。「ありがとう」と言う表現に泣けてしまった。誰に対する「ありがとう」なのか、団員か、ベートーヴェンか、神か。

「神はベートーヴェンの強さと可能性を信じてわざと聴力を奪った」とコバケンは言う。そうかもしれない。コバケンは創造主(大いなる意志、ガイア、神)のなせる技を皆で見たかったのかもしれない。聴力を失ってもなお、ベートーヴェンの頭の中には音が降りてきていたのだろう。私たちはコバケンの振るオケの演奏というフィルターを通して、ベートーヴェンに降ってきた奇跡を聞かせてもらったのかもしれない。

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中学生の時に地元日立市の市民オケ(日立交響楽団、通称H響)が創立25周年記念で「第九」をやることになった。私は拙い演者ながらも参加を許され、毎週木曜日の夜にあった練習に欠かさず参加していた。練習や本番を通して細部に渡るまで「第九」に向き合う機会であった。本番が近くなると練習に参加する人も増えて美しいメロディが響き合うようになった。「世の中にこんな美しいメロディー、ハーモニーがあるのか」とため息の出るような恍惚感に包まれた。第九は細部に渡って本当に美しい曲だった。だからこそコバケンの言葉が私に響く。

H響創立25周年記念演奏会のレコード
出演者


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映画を観て、改めて、音楽をすることは、創造主(大いなる意志、ガイア)からのギフトを受け取ることだったのだ、と思った。私は人生の早い時期に奇跡的にそんなギフトを受け取っていたのだ、と気づく。

音楽はホモ・サピエンスが登場するずっと以前、言葉を持たなかった類人猿に近いネアンデルター人とも共にあった、ということが最近の認知考古学の研究でわかってきたとのことだった。音楽は創造主(大いなる意志、ガイア)からのギフトなのだ。間違いない。


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