高瀬拓史『子供の頃に世界を救った話』クロスレビュー

S評出品作:高瀬拓史『子供の頃に世界を救った話

評価 椋:優 持田:良 高橋:△ 東郷:× 波野:× 


椋 康雄 評価=優

タイトルがちゃんとテーマにつながっていて、綺麗に結末につながっていく。うまい組み立てで書かれていると感じました。「はやさ」も読み手にとって多分丁度良い。こういう上手な文章を紡げるひとが他のテーマにいくとどうなんだろうと思います。先日高瀬さんは「みんなテーマがガチ過ぎる」みたいなことを言われていましたけどね。


持田 泰 評価=良  

おそらくは20世紀後半を生きた少年が誰もが持つであろう心象風景である。全ての時計の針は1999年のいずれかの日時でとまるはずであった。しかしそれを過ぎてきって15年立って中年を見出すところの「我」と「我が現実」を綺麗な詩情で描いた。その素直さを一筆書きにした歌である。実話性の担保は追想であるが、追想からも自己をきっちり突き放すことができるのが著者のフェアネスである。自分が二児の父として世紀末後を生きて居る未来なぞ世界を救う祈りをしていた最中は思いもしないだろう。その現実に今なお戸惑い、また今なおプライドの高さと無力感の往復運動を持ち続けているともとれる。それも20世紀後半を生きた少年たちの今の中年風景であるとして「良」とした。次作はその中年風景の実相、夫であり父親であり社会人たるところの「実話」も期待したい。世紀末後の人生だってなかなかタフだったはずであり、「平坦な日々」が祈りだけで手に入ったものではないだろう。むしろ「平坦な日々」を「日々支える側」が中年期である。


高橋 文樹 評価=△

一見すると村上春樹『かえるくん、東京を救う』のパクリでないかと思われるのだが、世界の救済というセカイ系なるシシスムを他人によって発見されるのではなく、よりによって自分から語るという潔さによって、「世界を売り渡した」という救いようのない罪過が透けて見えるのが面白い。私小説の面白さとは、まさにこうした「いやしくも言葉を操ろうとした書き手がボロを出す瞬間」であり、狙ってできるものではない。この書き手は一冊の図鑑を受け取ったことにより、世界がかくも悪い状況であることの責任を負っている。また、短いのも良い。


東郷 正永 評価=×

大変良い話ですし、単体としてまとまっていて、今回のなかで一番読みやすく読後感もよい作品でした。成長した後から振り返る、苦みが含まれる感覚も大変よいものです。惜しむらくは、筆者だけがなぜ「世界を救うのか」という観点が欠落しているところでしょうか。ほんの、ほんののちょっとでいいんですが、「僕だけが世界を救えた」的な観点がないと、「あー、これ俺も思ってたよ」的、「あるある」的な、同意ベースのネタのように捉えられるんじゃないかなーと。つまり、「他にはない筆者ならでは」の吐露がもうちょっとあったらなあ、とないものねだりをしてしまいます。


波野 發作 評価=×

美しいエピソードである。子どものピュアな心に触れて、こちらの薄汚れた心も洗われるようだ。というわけで、評価は……×だー! 残念。何度も読み返しているうちに、このエピソードの問題点が明らかになってしまったのだ。危なく△をつけてしまいそうになったが、3回目に読んでようやく気づけた。この少年、実は何もしていないのである。サンタクロースに世界の存続を願った、わけではない。願うことに決めただけだ。サンタクロースはエスパーではない。手紙を書くなり、親に伝言を頼むなりという手続きを経なければ、サンタクロースに願い事をしたことにはならない。この物語をよく読むと、少年は「願うことを決めた」だけで、あとは何もしていない。これでは世界を救ったのを彼の功績にするわけにはいかない。もし、彼が些細な羞恥心にとらわれることなく、堂々と手紙を出すなどのアクションを起こしていれば、間違いなく△、いや、○が出てもおかしくないお手柄だっただろう。しかし残念ながら短い物語だったので、私は何度も読み返すことができ、そのことに気づいてしまったのだ。1万字を越すような長いストーリーであればこうはいかなかっただろう。ちなみにノストラダムスの時にアンゴルモアを追い返したのは私だ。祈ってただけだけど。

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