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【much-onラボ研究レポート】#41完全版

こちらは日曜の朝の白田です。いつも代筆文は土曜日には提出されないのに、研究生008のナウシカは爆速で提出してきたんですよね。めちゃめちゃ焦りました。
なので今回は早めの更新です。笑


今回白田は、部活で出ている高校演劇のフェスタに行っていたためラボをお休みしておりました。

そのフェスタで起こった話なのですが、私あのフェスタに行ったのは初めての人間だったのに急に影アナ用のマイクテストに駆り出されたんですよ。とりあえずマイクに向かって「テストですー」と言って、問題なさそうだからマイクを切ろうと思ったんです。そしたら横にいた、大分県の演劇界隈では名を馳せた先生が、急に「趣味!趣味の話とかして!」と言い出したんですよ。

急に振られて、「えぇ!?なぜ!!?」となった私は、絞り出すように「趣味は、ら、ラジオを聴くことです……」と言いました。その瞬間、客席からドッという笑い声ですよ。
そりゃそうですよね、マイクテストをしていた人間が急にマイク使って趣味の話をしだすんですよ。本当に恥ずかしかったです……。

フェスタ2日目の本日、我が校は、ラジオパーソナリティが主人公の演劇を上演しました!
「ラジオパーソナリティが主人公の」と言ったところで察しがついている方もいらっしゃるでしょうが、脚本は私が書きました。私も人生で初めて演者として舞台に立ちました。
高校演劇の魅力に多方面から触れられた2日間だったな~と思います!


さて。
ラジオ関連でなにか書けることは今週あったかなーと思い返してみまして。そういえば今週、ラジオにとても詳しいとある方とradikoについて議論したなと思い出しました!
相手方からも「なるほど!」というような話をお聞かせいただいたのですが、私がここで出していいのかわからないので、私が相手に出した意見をここで書こうかと思います。

私がこの研究レポートで何度も言っている通り、今のコンテンツを消費するための手段(YoutubeやTiktokなど、ラジオで言えばradikoです)は、ちょっとでも面倒だと見限られます。(これは相手方も言っていましたが)

面倒でいい、むしろ面倒がいいのは、普段なかなかできない体験であるものや過程に価値を見いだせるもの――いわゆる「体験」そのものをコンテンツとするものだけです。
(例えば釣りやどこかの教室でのパン作り体験、朝早くに起きて意識高い系の朝食を作ってみる、などです)

そして、コンテンツを楽しむ手段は、なるべくシンプルな操作性かつ利用の上での制限があまりないことが好まれます。

当然ですが、広告も消費側にとっては面倒な制限となります。
みなさんは、あの小さすぎる×マークにイライラしたことはありませんか? ×マークをたしかに押したかと思えばちょっと指がズレてて広告ページにジャンプしたり、マークが小さすぎて押しても全然反応しなかったり……その面倒さがコンテンツ消費への妨げとなる一番の原因です。

さらに現在では、たくさんのコンテンツ消費の手段とできるサイトやアプリが作られています。その中からより便利なサービスがあるものを選択できるようになりました。そうなると、不便な手段はどんどん切り捨てられていくんです。

例を挙げるとすると。
私はマンガアプリを10個ほどダウンロードしているのですが、自分でも、広告を必ず見なくてはいけないアプリはあまり開かないな、と思います。

マンガアプリにもいろんな種類があって、

・24時間経てば作品ごとに1チャプター無料で読めるチケットが配布されるもの
・指定の時間になると一定数のコインが配布されるもの
・動画を一本見れば2チャプター分が読めるもの

など、アプリによっても多種多様です。
この中で自分の生活スタイルや消費形態に合わせて、一番条件がいいものを選びながらアプリを利用しています。

その中で、自分の中で圧倒的に利用率が高いのは、指定の時間になると一定数のコインが配られる形のものです。1日2回、4チャプター分のコインが配布されるので、1日で最大8チャプターを読むことができます!
なるべく広告を見ずに多くのものを読めるのが一番嬉しいんですよね。広告を見るだけで30秒ぐらい時間がとられるので。

逆に自分でも実感するほどアプリの利用率が下がるのは、広告を見なければだって他のアプリでも同じ作品が楽しめる場合もありますし。別に広告が多いアプリにこだわる必要はありません。
さらに言ってしまうと、あまりに広告が面倒すぎると、いくらマンガが面白くても続きが気になっても「あの面倒な広告を通り抜けないと読めないのか…」とうっすらと思ってしまい、平気で1,2週間ほどアプリすら開かず放置をしてしまうこともあります。だってその作品を今日読まなかったとしても、同じぐらい面白いマンガが他のアプリで配信されてますから。
選択の幅が広がっていけば広がっていくほど、少しでも使い勝手が悪いものは容赦なく切り捨てられていきます。これこそ、コンテンツ消費の手段があふれかえった弊害ですよね。


さて、その話を踏まえてradikoの話に戻りましょう。

あれ?
そういえば、radikoって広告がないですよね。
無課金の人にはエリア制限がありますが、再生すること自体に広告などの制限はありません。

ではどうしてradikoはあまり好まれず、Youtubeなどの動画配信サービスにラジオの切り抜き(言ってしまえば無断転載)がはびこるようになってしまっているのでしょうか?

人間って、「慣れていないもの」と「楽ではないもの」をすぐに受け入れるのは難しいようにできているのだなと思います。この2つの共通点は「利用するには頭を使わなければいけないこと」です。

そして、これはまた新たに気が付いたことなのですが。
現代の動画配信サービスのシステムを日常的に利用する人間は「広告の動画を見る」ことには、もうすでに慣れているんです!

たとえ広告がついていても「5秒ほど待ってから広告をスキップする」という操作を日常的にしすぎていて、何も考えずにその面倒さをこなすことができます。なので、ちょっとの広告がある程度であれば、制限というように大げさに捉えることもなくなってきたんです。特定の制限に対して、抵抗がないんです。その制限があることがもう当たり前になってしまっていて、広告があったとしても「別にこれでも使えるしな~」という心理が生まれてくるんです。
すごくないですか? 「広告を見る」という視聴までの制限を、「動画を見るには少しの間広告を見てからだ、そういうものだろう」というように捉えさせてしまうんです。広告のシステムがわかっていない幼児・小学生たちですらも広告動画に文句をいうことはなく、スキップボタンが出るまでじっと画面を凝視し続けます。こうして、特定の制限を当たり前にあるものと意識に刷り込ませていくんです。もはやある種の洗脳ですよね。

こうして制限に慣れさせることによって、「広告を見る」という種類の制限に対しての抵抗感があまり生まれていないのだろうか……と思いました。


逆に、慣れていない制限――radikoで言えば24時間以内の聴取期限でしょうか。ちょっと再生してしばらく置いておいたらなぜか聴けなくなっているなんて「え、なぜ? まだ1週間経ってないけど…」となりますよね――をかけられると、とたんに脳がサービス自体を受け付けなくなるんです。
だって、そんな制限には慣れていないんですから。そんな訳の分からない制限を付けられながらラジオを聴くぐらいならば、Youtubeの無断転載のラジオ切り抜きを聴きにいってしまう気持ちも少しはわかります。広告を数秒ほど見さえすれば、いつまでも何度でも聴きなおせますから。
こんな風に「制限」に着目して比べると、radikoの利用率の低さが見えてきますよね。

これが、「少しでも面倒だと即座に見限られる」という話につながるのではないかな、と思います。


変な制限(一般的に主流ではない制限)を付けるとアプリ側が逆に被害をこうむるのではないでしょうか、という話でした。
radikoの24時間制限がどういった意図でつけられたものなのかわからないので、これ以上は何とも言えないのですが……。

他にも、radikoとTVerを比べるとどうだ~とか、アカウント共有ができるからこんなことできるのに~とかをああだこうだと話していました!
こんな風な話を一緒にしてくれる人が周りになかなかいないので(学校の友達はそもそもradikoの存在を知らないぐらいですし)、すごく楽しかったです!!


今日で部活もひと段落したので。
明日の祝日はゴロゴロしながらラジオを聴き漁るために、今日中に個人的につけてるラボ日誌と大量に出た課題を片付けようかと思います。
皆さんも忙しい毎日だとは思いますが、無理にでも時間を作って、自分のためだけに生きる時間を作ってみてください。


それでは来週はよろしくお願いします!

2023.7.16 白田まもる

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