スタートライン

インド古典音楽に興味を持ってバーンスリーの演奏を聴き、打ちのめされ、この人生で絶対にこれをやると心に誓ったのが1990年の冬、22歳の時。それから丸30年経って、今こんな世紀の感染症大流行に晒される中、ステイホームの暇にあかせていろいろ過去を振り返ったりもしているのだけれど、ちょうど折り返し点にあたる15年前のとある夏の日、僕のインド音楽人生における重大な転換点があった。それはハタから見れば何てことない些細な日常だったかも知らないが、僕にとっては世界がひっくり返るような出来事だった。今日はその話。


その島に初めて足を下ろしたのは2005年の7月。石垣島の離島桟橋を出て1時間余り、僕らは西表島の上原港に来ていた。桟橋に足を下ろす時の緊張感を今でも憶えている。あの有名な、いつかは来たいと願っていたその島に今まさに、というのがひとつ。もうひとつの理由は、目の前に聳える森の圧倒的な黒々しさ。獲物を前にした肉食獣のような、森からたちのぼる猛々しくアグレッシブな生命力のオーラ。あかん、ツアーバテとか言って気ぃ抜いてたら喰われる、という生物的本能による足のすくみ。あれから何度も西表には来ているが、多かれ少なかれだいたい毎回こんな印象を受けている。

とはいえ、この直前に行っていた波照間島でも生涯にわたるような大きなパラダイムシフトの連続があって、実際いささか疲弊していたのは事実。南の島の攻撃的な暑さの前に、なす術もなく身体も精神もバテきっていた。その夜のコンサート会場兼宿泊先に荷物を下ろすと、崩れ落ちるようにそのまま意識を失う。

目を覚ませば午後、南の島の時が一番ゆっくり流れる時間帯。人の気配がない。みんなまだ寝てるのか。今晩の演奏会場となる部屋に行き、椰子の葉を編んだマットに座る。午後のとろんとした空気の中で、なんとはなしに笛を取り出して吹きはじめた。Raga Bhupaliだった。Bhupaliを吹こうだなんてその時これっぽっちも考えてなかった筈なのに、出てきた音がこれだった。どうしよう。Bhupaliは夜も深まった頃合いのラーガだ。こんな光の粒子がそこら中で弾けてるような強烈な午後の日差し中で吹いても良いものだろうか。と逡巡したのも一瞬。誰が気にする?構やしない。

普段僕は、インド古典音楽のラーガには季節や時間に応じて様々な、なんてことをもっともらしく語っているけれど、本当のところそんなことこれっぽっちも信じてやしない、そういうところがある。知識や薀蓄なんて糞食らえだ。ここにあるべき音はインドの午後のラーガの音ではない。感覚がそう告げている。ならば、出したくない音は出すべきじゃない。
規則だからそのラーガを演奏する(あるいは演奏してはいけない)なんてくだらない。春のラーガがなぜ春のラーガなのか、夜のラーガがなぜ夜のラーガなのか、その理由が自分の感覚の深いところで納得できた時だけ、そのラーガをそのタイミングで演奏することに意味がある。それ以外は、まあなんだ、言ってみれば中身のない衒学にすぎない。その意味するところを理解せずに形だけ覚えて使ってる数学の公式みたいなものだ。
この時、僕にとってこの島の時間に相応しい音は、インドの午後のラーガではなく、夜のラーガだった。そう感じたから、考えるより前にそれを吹いていた。そしたらそれに島が返事をしてくれた。何かがいつもと違うのを感じた。光の粒子と空気の振動が化学変化を起こし、音に呼応して時間の流れが変化した。目の前で何かが起こっていた。これか!そう思った。
この音楽をやることの意味、演奏者として本当にやるべきことが何なのか、ラーガを演奏するということがどういうことなのか、その時初めて少しわかった気がした。

インド音楽の演奏者としてやるべきこと、それはラーガの知識を披露することでも、トリッキーなティハイを決めることでも、派手な高速ターンを次から次に決めてみせることでもない。そんなものは波打ち際の、ただの見栄えのいい波濤にすぎない。ラーガの海はもっともっと広くもっともっと深い。

インド音楽の演奏者として真にやるべきこと、それは、その時その場に相応しい正しい音を出すこと。それが最も重要なことだと気がついた。その場の空気や光と反応して、人々や生き物たちの息遣いを感じて、それらと結合して意味をなすような、そんな音。


その夜のライブでは、やっぱりBhupaliを演奏したのだけれど、案の定、この午後の特別な時間のような訳にはいかなかった。でもそれでいい。一度見えた、それだけでこの先も歩いてゆける。どちらに向かって進めばいいかわかる。それが僕にとっての西表島。第2の故郷。音楽人生を歩いていくための道標。

演奏終わって翌朝、朝日を浴びた玄関にサキシマカナヘビが出迎えてくれた。尻尾の長い、鮮やかな緑に身を包んだ、この世で最も美しいトカゲ。不思議と逃げない。どころか腕にのぼってくる。涙が落ちた。ありがとう。この日やっと僕はインド音楽を演奏するスタートラインに立てた気がした。

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