【開運酒場】見えないバリア、あるいは結界〜練馬・上海家庭料理 蛍〜
酒場は会員制でもないかぎり、基本的には「来るもの拒まず」の存在である。
後になにかをやらかして“出入り禁止”ということはあるにせよ、初めての場合なら、よほど臭うほど不潔であるとか、明らかに泥酔しているとかでないかぎり、ナンピトタリトモ、その店に入る権利がある。
店側も基本的には、より多くの客に入って来てもらわなければ商売にならない。
にもかかわらず、目に見えないバリアに覆われている酒場がある。
例えば立ち飲み屋台。
店と通路を仕切る扉は無く、ほんの30センチ足を踏み入れさえすればよいのに、なんとなく入りづらい店が多い。
開けっぴろげなのに、入りづらい。
このアンビバレント。
代表格は新橋の「王将」だが、むしろここは、いざ勇気を出して足を踏み入れても、大将がチラと見て気に入らなければ、例えガラガラでも「予約で一杯です」と追い返してしまうのだから特例なのかもしれない。
が、いずれにせよ、酒場には見えないバリアがある。
あるいは結界と言っていいだろう。
そんなことを久しぶりに思わせる店を、練馬で見つけた。
西武池袋線と都営大江戸線が乗り入れる練馬駅は、住宅街のイメージがあるが、実は南口駅前にはディープな飲み屋街が広がっている。
最老舗は昭和38年創業のもつ焼き屋「金ちゃん」だ。
入口脇の焼き場には主人の金ちゃんが門番のごとくデーンと鎮座するのがお決まりの風景。
店内を切り盛りするのは肝っ玉が座っていそうな数人の東南アジア女性である。
名物は煮込み、いわゆるスジ煮込みというやつで、とにかく甘く、コッテリしている。
正直、好みが分かれるところだが、いずれにせよこの店の名物煮込みを食べずして、練馬で飲むべからず、だ。
さて金ちゃんで一杯やった後、裏路地を西へ向かった。
マロニエ通りにぶつかる手前に、そこだけ時間が止まったような長屋街があった。
金ちゃんと同じくらい古いといわれる「千曲食堂」を、噂に聞いて訪ねてみたのだが、なんと営業は朝7時から17時まで。
いま19時、とっくに店じまいだ。
さあ、困った、飲み足りない。
ふと振り返ると、雑居ビルの一角に黄色いのれんがかかっている。
よく見れば、カウンターにスツールが3脚だけの小さな店……というか、スペース。
駅の売店とか、今流行りのタピオカ屋台とか、そんな感じ。
でも、どう見ても飲み屋である。
入口には扉もない、いわゆるオープンエア。
先客のオヤジと目が合った。
「よっ、元気?」
友達かよ。
が、つい引き寄せられるように、1つ椅子を挟んで端っこに座ってしまった。
普通の人間だったら“見えないバリア”に跳ね返されてしまうだろう。
ところがどっこり、跳ね返されるどころか、逆に吸い寄せられるのだから、どうやら自分は“そちら側”の人間らしい。
一体、いつダークサイドに落ちてしまったのか……(ま、別に悪い意味ではない)。
その店、「上海家庭料理 蛍」は、上海出身のママがタバコ屋だった場所(たしかにそんな感じ!)を借りて8年前に始めた。
以前は近くでスナックをやっていたそうだが、「人を使うのはこりごり。本当は昼の仕事やりたかったんだけど……なんで私みたいな仕事できる人間雇わないかね(笑)」
酒はビール、冷酒、紹興酒、つまみはウインナー、上海風ゆで卵、砂肝炒めなど、決してメニュー豊富とはいえないが、おっとりしたママの人柄と、店の開放感にすぐに魅せられた。
先客のオヤジは終始ご機嫌で、道行く女性に手当たりしだいに「ヘイ!」と声をかける。
ほとんどが苦笑いして通り過ぎるが、そのうち顔なじみなのか、一人の女性が「また飲んでるの?」と笑って通り過ぎていった。
そんな様子を眺めながら、隣で紹興酒をチビチビやる、その幸福な時間。
いま思い出しても、心の中が温かくなる。
ここは日本だが、日本ではないような気がする。
俺はいま自由だ、という感覚は、錯覚だとしてもまんざらでない。
やがて雨が降ってきた。
小走りで急ぐ人々。
この黄色いのれんの3席(残り1席だが)の店に、雨宿りに立ち寄ろうとする人はいない。
入りたくても入る勇気が無いのか。
あるいは見えてさえいないのか。
ますます中で飲んでいる自分が、この世のどこにもいない、透明な存在のような気がしてくるのである。
※日刊ゲンダイで連載している「東京ディープ酒場」の記事を、著者自らが大幅に加筆修正しました。
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