他人

人間は突き詰めたら 誰しも最初は全員他人
人は全く同じ人生を辿ることはまずありえない
それは血が繋がっていようが同じこと
答えが同じでも そこへ辿り着く方法が違うのなら
その答えが指す意味合いは歪んでいく
同じ経路を辿っていても 何故か到達する場所は異なる
同じ場所に辿り着いても その道のりの険しさは其々違う
あくまで似通った道 近い色彩の景色
それを理解と定義するのはただの認識の押しつけでしかない

何も言わなくても通じる関係など存在しない
だからこそ 理解する為にやるべきことは山のようにある筈だ
その道のりに残された足跡に 自分の足を重ねて歩み
辿り着いた先で その景色に抱いた心に寄り添って
ようやくここで その相手は他人と言うカテゴリから外れる
他人と言うテクスチャを剥ぎ取って 貴方の芯に触れるのだ
理解した と言うゴールへ辿り着くまでの旅路は 長い

理解とは 只管に長い旅路の追体験であって
家族と言う言葉一つですべて省略出来ると
何故本気で考えてしまうことができるのだろう
それこそ 家族とは他人の集合体であるのにも関わらず
家族という言葉で全て解決できると 本気で思い込んでいる人間ほど
理解からは程遠い
私は家族への理解を投げ捨てた後 人として落ちぶれると思っていた
全くもってそんなことはない 寧ろ心が救われてしまった
家族というだけで押し付けられる理解と言う何かは 自分には不要だった

成人を迎えて大人になった感覚はあっただろうか
アルコールやタバコを味わった時に 自分は大人になったのか
男女の関係を経験し 子供でなくなったと悟ることができたのか
少なくとも 明確にここから大人になったと思えることはない
成人とは「人と成る」と書く
成人を迎えた事で ようやく社会に一人の人間として認識されたのだ
今まで少年少女として 様々なものから守られていたところから
ひとりの人間として 全ての責任が自分に降りかかる
成人とは 社会で生き抜く為に 「大人に成らなければならない」歳だ
だからこそ 私は先に社会で働く大人を尊敬している
では尊敬できない大人とは
口だけで中身のない そのくせ声だけは大きい人間だ
がらんどうのその言葉は ただただ不快感だけを残す
そんな不快さを吐き続ける醜いけだものなど 見るに堪えない

家族とて 面子は他人だ 
だがそこに尊敬という付加価値が加わることで
お互いが常に認識を改め またその認識を共有し
家族と言うコミュニティに参加している各々が
強い絆をもって家庭を形成している
だからこそ それぞれ様々な形で家族が成り立っているのだ

お前のその中身のない言葉が 私を動かすと思うな
できないことでは悪ではないが やらないことは悪だ
私のことを動かしたいのであれば
大人であると言う認識を捨ててもらう
その上で再度大人になってもらわなければならない
お前が家族を 親を名乗るなら
私はあなたを否定し続けることでしょう
もはや許せないところまできてしまった
私にとって私を産んだお前は 赤の他人だ

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