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撮り手の個性とは何か

カメラの個性

 普通のカメラには撮れない場面で活躍するカメラがある。たとえば……

 この一瞬の後、撮り手である私は頭から盛大に潮水をかぶった。もちろん持っていたカメラもだ。水中撮影も可能なTG-5というカメラだから、平気でこんな真似が出来る。

 これもTG-5で撮った。空の広がりを表現すべく、カメラ位置を低くした。水面が近いので、波が来たら普通のカメラは潮水にやられてしまうけれどもTG-5なら問題ない。

 絵柄は、この一枚が穏当なところだと思うが、自分で気に入っているのは冒頭の波が砕けている一枚だ。ざっぱーん!

 水着ポートレートとしては「個性的」だとは思うが、その個性は撮り手の個性ではない。そのカメラの個性なのだ。工業製品であるからには、同型のカメラおよび、その後継機たちが何万台も世に出ており、それを入手したら誰でも同じことが出来る。

 これは別な日に撮ったものだが、もとより波をかぶるつもりで撮った。

 波は加減してくれないから、カメラが溺れてしまうこともあった。

 被写体さんが背を圧されて姿勢が崩れたりもした。

 もちろん、こんな写真は失敗の部類だが、撮っていて愉しかった。

撮り手の個性とはなにか

 波しぶきを正面から逃げずに撮るのは、カメラの個性を発揮したまでで、撮り手の個性ではない。

 私が撮り手として主張したいことは、「女性ポートレートが背景ボケボケばかりで良いのか」ということだ。

 セオリーどおり、逆光で、絞り開放で、背景ボケボケ。まあ、組み写真に必ず一枚入れたい写真ではある。これは一般的な技法で、技法というものも私から見れば個性ではない。ガイドブックを読むなり、webで解説サイトを閲覧するなりして、さしたる苦労もなく習得できる技法が「個性的」ということはない。ボケるレンズを買い、ボケる技法を学べば、誰しも真似できることだからカメラも技法も「撮り手の個性」の一部ではない。むしろ、そればかり撮っているようでは「ありきたり」と言われねばなるまい。

背景を殺さない

 いまのところは、背景を活かすのが私の個性だと思っている。このさきのことは、理屈は抜きに、写真を御覧いただきたい。こんなのをポートレートとして認めない……という人もあるだろうが、私はコレで良いと思う。

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