総裁候補って、みなさん、原子力発電容認なんですね。 ならば、この二つの素朴な疑問に答えてくれますか?

昨日公示された自民党総裁選の4候補。

たかが一つの党、たかが有権者数百人による身内の選挙とは言え、与党であるからには、総裁=総理大臣。その他大勢のわたしたちも、それを無視することはできません。

もちろん、この後に続く衆議院選挙で、与党であり続けられるかどうかはわからない。
でも、現時点の野党のヘニョヘニョ具合を見る限り、それは簡単には変わらない感じがします(泣)。

この4人がこの後、日本という国をどちらに引っ張っていこうと考えているのか、やはり、気になるところです。

で。

昨日、NHKのニュースで、4候補の合同記者会見を視聴して、いろいろなことを思ったんです。

4候補それぞれのものの考え方や態度、コミュニケーションの技術など、ツッコミどころやギモンは満載。
一つずつ取り上げれば、いろいろ言いたいことはあるのですが、それはさておき、わたしには、どうしても気になる問題があったんですね。

NHKの整理では、「経済・財政政策」「外交・安全保障」「エネルギー政策」「天皇制度」が取り上げられていました。
それぞれ、大事なテーマであることは間違いありません。4候補、自分の立ち位置とアピール戦略によって、それなりの発言をしていました。

とは言え、同じ党員であるからにして、劇的な違いがあるわけではありません。でも、選挙に勝つためには、それなりの違いは示さなくてはならない。その辺りの塩梅は難しいところなんでしょう。各人、なんとも言えないビミョーな差別化を図っていました。野田さんだけは、立ち位置が違うこともあって、面白かったですが・・・。

で。

そうした中、わたしがびっくりしたのが「エネルギー政策」
なんと、4候補とも全員、「原子力発電の再稼働容認(もしくは原子力発電推進)」だったんです! 

河野「原発再稼働は当面必要。核燃料サイクルに否定的」
岸田「再生可能エネルギー最大限導入。原発再稼働」
高市「核融合炉の開発などで電力の安定供給」
野田「原発、急になくすのは現実的でない」

え〜、マジか。

河野さんなんかは、これまで脱原発派だったはず。「当面」と逃げを打っているけど、これじゃ変節と言われても仕方がない。
まぁ、自民党員であるからして、総裁を目指すからには、そんな変節は仕方ないのかもしれませんが。

でもね、原子力発電って、本当に再稼働させちゃっていいんですか?

ここで質問です。

この質問、4候補だけではなく、誰でもいいから論破してほしい、根本的な問いかけです。

でもこれ、論理的に論破できないと思うんです。別に難しい話ではなく、ごく、常識で考えた理屈なんですけど。

そもそも、原子力発電に対する賛否は、その安全性に根ざしています。

原子力(に付随する放射線)は、生物にとってとても危険な存在である。どんなにすぐれた使い方だとはいえ、それを無視するわけにはいかない。なぜなら、一たび事故が起きたら、根本的な解決策がないのだから。

だからこそ、効用と限界の間で、わたしたちは悩み、それが常に大きな争点になっている。

たしかに、化石燃料資源に乏しい日本にとって、原子力発電は、「エネルギー政策」の有力な解決案の一つになりそうに見えます。
また、二酸化炭素排出による環境問題に対しても、原子力発電は、救世主になりそう。

でも、やっぱり、危ないんじゃないですか?

特に、原子力発電による直接被害を経験しているわたしたち日本人にとっては、そこはとても重大な争点です。

にも関わらず、自民党は、それを推進しようとしている。

なぜなら、経済性を考えたら、それが、手っ取り早いから。
だから、安全性には目をつぶる。というか、経済的で安全だと、詭弁を弄する。

でもね、経済性にも安全性にも、決定的な穴があるんです。それが、今回の質問。

質問は二つあります。

一つ目は経済性
本当に、原子力発電は、経済的なんですか?

資源エネルギー庁の資料では、電気の発電コストの比較は、

2010年時点
 原子力 8.9〜円
 石炭火力 9.5円
 LNG火力 10.7円
 石油火力 22.1〜36円
 陸上風力 9.9〜17.3円
 洋上風力 9.4〜23.1円

とあります。こうしてみると、原子力発電は結構安い。

でも、それ、本当ですか?
だって、この比較には、廃棄コストが含まれていないんですよ。

なんらかのシステムのコストを考えるときには、作ってから原状復帰(元通りに)するまでの、トータルな費用を勘案するのが常識です。不動産だってそうですよね。契約書には、現状復帰費用が含まれている。

でも、原子力の廃棄物処理は、未だにその方法論すら見えていません。つまり、その部分のコストは、現時点では無限大です。

なので、既存の発電システムと、コストを比べることなんかできるわけがない。
このエネ庁の試算でも、原子力発電だけは、最大値が「〜」となっていて、それを認めています。(この「〜」、補償費用がどうのこうの、とも言っていますが、そこは本質ではない)

原子力発電が、その他の発電システムより経済的などというのは、全く理屈が通りません。

そこ、どうなんでしょうか。

そして二つ目

もちろんこれは安全性に関して
原子力発電が安全である、という理屈の妥当性について。

再稼働に関しては、原子力規制委員会のオッケーが出れば可能、となっています。委員会が安全を保証するわけです。

でも、その「保証」って、いったいなんなんでしょうか。オッケーを出せば、絶対に事故はない、ということ?

論理的には「絶対に大丈夫」はあり得ません。

ゼロ(おこらない)は、この場合、立証不可能です。第一、すでに事故は何回も起きている。
だから、ここでいう保証は、どこまで行っても「多分大丈夫」でしかありません。

では、どの程度「多分」なんですか?
10年?100年?1000年?

ここも、論理的に考えます。

「起こる可能性のあることは、いつか必ず起こる」

です。

つまり、原子力発電の事故は、いつか必ず起きるんです。絶対に起きないということはない。
そもそも東日本大震災のみならず、原子力発電に伴う事故は、死亡事例を含めて、すでに頻繁に起こってるんですから。

地震や噴火といった天災はもちろんのこと、過失に伴う人災、さらにテロや戦争といった意図的な攻撃、などなど。
事故の可能性は、考えるだけでも数多ある

絶対の安全なんて保証できるわけがないんです。

しかも(ここが大事)。

事故が起きるか起きないか、もしくは最大限起きにくくできるかどうか。もしくは起きた時にどうするか。ここももちろん大事なのですが、そんなことの前に、もう一度考えなくてはならない大前提があります。

それは、原子力というシステムに伴う事故が、そのほかのあらゆるシステムによる事故と、決定的に違う点があるということ。

もう少し言うと、事故による災害の大きさの問題もさることながら、「事故の起き方」そのものが、他のシステムと決定的に違うんです。

原子力に関わる危険性は、放射線(放射能)による被害のあり方が極めて難しい、というのは、誰もが知るところです。一度発生してしまうと、影響の範囲が広くなるのとともに、長期にわたって被害が続く。

でも、被害の「規模」で言えば、放射線による事故よりも大きな災害は、特に珍しくはありません。

例えば、昨年の夏に発生した、ベイルート港の爆発事故。原因は硝酸アンモニウムという化学物質の大量保管だったのですが、都市の半分以上が被害を受け、218人が死亡、7,000人以上が負傷し、最大で30万人が家を破壊されて住む場所を失っっています。
この影響で、レバノンという国の健全な存続すら危ぶまれている。

さらに、このような化学物質による事故のみならず、ダムの決壊を筆頭とする建築物の崩壊による事故、飛行機の墜落や電車の脱線による事故など、死者が数百人から数万人に及ぶ事故は、決して珍しいわけではありません。

さらに、地震や噴火、台風や竜巻、津波や洪水などの自然災害でも、原子力を上回る被害が頻発している。

こうしてみると、原子力だからと言って、その被害規模を特別視する必要はないんじゃないか。そう言えるような気もします。

でも、こうした「その他のシステム」による事故は、原子力による事故と、決定的に違うところがあるんです。

それは何か。

原子力以外の事故や災害は、放っておけば、自然に収まるんです

化学物質は、燃えたり大量にぶちまけたとしても、放っておけば、自然に収拾していく。洪水や決壊や土砂崩れも、放っておけばいずれ収まる。
いずれも、「追加のエネルギー源」が絶たれれば、収束する。

でも、原子力だけはそうではありません

原子力は、連鎖反応によって暴走することが、エネルギーの根源になっている。したがって、「それを押し留め、コントロールすること」が、システムの最大の目的になる。
つまり、「安定的にエネルギーを投入し続けない」と、収拾がつかなくなるシステムが、原子力(発電)なんです。

なので、一度事故が起こって、エネルギーの投下(コントロールの維持)ができなくなれば、もはやどうにもならない。被害は、連鎖的に拡大していく。

これは、東日本大震災の事故を見れば、明白です。東日本大震災では「電源喪失」が起きたから、惨事になった。

放っておけば収まる、ではないんです。

一度事故が起きた時、そこに居続ければ命を失うことは明白なのに、逃げることができない。それが、原子力発電というシステムなんです。

「起きる可能性があることは、確率がいかに小さくても、いつかかならず起きる」

とした場合、原子力発電は、システムとしてはあまりにもリスクが大きいと言わざるを得ません。だって、解決策がないんですから。

しかも、地震や水害やテロなど、事故が起きそうな要因は、今までになく拡大している。

なのに、軽々に再稼働なんてしちゃって、いいんですか? 
もしもの時に、責任は取れますか?

おそらく、4候補は言うでしょう。

「継続的な経済成長のためには、安定した電力供給は不可欠である!」

ないしは、

「持続的成長に向けた二酸化炭素削減のためには、クリーンな原子力発電が不可欠である!」

これ、よく聞く話です。

でもね、それって、本当ですかね。

だってこれからは、人口は減り、その一方で、諸々の省エネは進む。
であれば、電力需要は減るはずなんです。
変に社会を膨張させるつもりじゃなければ。

だとすれば、一層の電力供給にリソースを割くのではなく、電力需要を削減することにリソースを割いた方が良くないですか?

仮に、本当に「よりたくさんの電力」がいるのだとしたら、歯を食いしばってでも、代替案を考えるべきではないですか。リーダーは、そこを政策として示すべきだと、わたしは思います。

無限のコスト。そして、システムをコントロールする仕組みとして内包する決定的なリスク
この二点があるだけで、原子力発電を推進する意味がわかりません。

4人の候補の誰か、というかこの際、誰でもいいです。この二つのギモンを論破する回答を、教えてもらえないでしょうか。

それでも、原子力発電の再稼働、やったほうがいいんですかね。
河野さん、岸田さん、高市さん、野田さん。この際です。ぜひ教えてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?