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タイトルはないし、つかれたし。

うまくいかんことばっかりやな。
社会人になってから常にそう思っている気がする。私はここにいるべきではないのではないか。明らかに浮いているのではないか。生きるのしんどいなぁと。

社会人になるまでだってうっすら感じていたことではあるけど、なんというか、その内なる声を無視して過ごしていても、これまではなんとでもなってしまっていたフシがある。勉強をそれなりにしていれば、毎年順調に学年は上がり、いつしか卒業できたからだ。ひとつのところに停滞することはなかった。自動押し上げ装置が働いてくれていたからだ。

対して社会人というのはどうだろう。
まず、自動押し上げ装置は機能しない。仕事でも、プライベートでも、なにをするにしろ、どこへ行くにしろ、自分で決めて自分で動かなければなにも変わらない。なにかを変えるためには自分を知らなければいけない。なんだ、社会人ってのは単純に「社会に出てそのなかである程度の時間を働く人」の意味かと思っていたけれど、「社会を通して己を見つめ解釈しなければならない人」なのかもしれない。それが私にはしんどい。自分となんて向き合いたくない。向き合うたびになにかができない自分や、どこか好きになれない自分が顔を出す。そんなつもりではなかったのに、とそのたびに思う。あれれ、私って誰だ?

あと数ヶ月で30歳になってしまう。
「30になって楽になったり、楽しんだりできる人はね、20代のうちにきちんとがんばってきた人だよ」というのをどこかで見た。きちんとがんばって来れなかった私はどうなってしまうんだろう。がんばることに早々につかれ、がんばることをサボり続けてきた私は、どうなってしまうんだろう。

社会人になってから、余計に「ふつう」のルートをことごとく踏み抜いてきたように思う。そんな自分のことは別にきらいではないのだけれど、周りにいる人たちのあまりの「ふつう」さに、ときどき心が折れそうになる。どうしてみんなそんなにふつうのルートをたどっているの。いや、みんなきっと一筋縄ではいかなかったんだろうことはある程度想像できる。ふつうの人なんていないこともわかっている。10人には10通りの物語があり、100人には100人分のそれがある。でも、回り道はしてもどこからも取り残されずに歩みを止めずにいられているように見えてしまうから。それが私には信じられないよ。

ずっと何年も同じところにいて、ほんの一歩も前へ進めていないんじゃないかと感じる。ずっと澱みの中にいて、浮くことも動くこともできない。この閉塞感はなんなんだろう。打破するための方法も体力も、もうない、気がする。

なんだかつかれてしまった。なんかもう、ずっとそう。


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