夢はもう選べない可能性

夢の正体は記憶の整理である。
が、フロイト先生もおっしゃるとおり、夢は自分でも気づいていない無意識の部分での心理状態を表すこともある。それを夢占いして自分の内なる願いを考察することは決して無意味なことなんかじゃない。

子供のころは荒唐無稽で空想的な夢が多かったが、大人になったいまはまるで現実と地続きのような夢をみる。幸福ホルモンと呼ばれるオキシトシンを点鼻していた頃は、気になる女性と遊ぶ夢をよくみた。やる気の出るドーパミンのサプリを飲んでいた頃は、仕事で昇格する夢や、やけに暴力的な夢をみた。それはその化学物質のおかげでいつもそういうことを思っていたから、その思考と地続きに近い夢を見たのだと思う。

あと右足が自然と剥かれ、中身があつあつの焼き芋だったという悪夢も最近みたが、これはいったいなんでしょう?教えてフロイト先生!

しかし、たとえ現実と地続きの夢を見ても、その夢通りになることは一度もなかった。一部分でも重ならない。誰にもしゃべらなかったのに正夢にはならない。正夢になることもあるだろうが、おそらく夢と等しき人生を辿る確率は、限りなく低い。

人の願いなんてそうそう叶わない。夢が内なる願いで、記憶の整理ならば、人間の見る夢は過去から算出した、すべてが予知夢である。予知夢というと語弊あり、予知夢というか、予測夢?
予測した夢は一つの可能性で、弾きだした可能性を人ははじく。なぜなら人間は確定した未来を回避せざるを得ないからだ。そのままなぞることは叶わない。

僕らが寝て見た夢の未来は叶わず、あるいは叶わなかった過去の夢を見る。叶えたい現実があるなら、その夢を見ないことをお勧めする。

・・・突っ込みどころが満載な気がするので寝ます。ここまで読んでくれた人の代わりに僕がいい夢見ます。おしまい。

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