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「とりあえず」で失うもの

「とりあえず」

背負っているリスクが軽いような響きがします。
でも本当にそのリスクは軽いものでしょうか。

例えば、
「とりあえず今はこの服買うのやめよう」
と言って買うのを先延ばしにすると、お金は払わずにすみます。そういう意味でリスクは小さいです。
でも明日には売り切れるかもしれません。

例えば、
「とりあえずこの本読んどくかな」
と言って、ある本を読んでみます。時間を無駄にせずにすみます。そういう意味ではリスクは小さいです。
でもその本を読んでいる時間を別のことに使えたかもしれません。

例えば、
「とりあえず私は理系かな」
と言って、理系の大学に進学します。漠然と自分の興味の方向に進んだので、当たらずとも遠からずです。そういう意味ではリスクは小さいです。
でも、あなたのやりたいことはそもそも大学に進学することではなかったと後で気づくかもしれません。あなたの学生時代は簡単には返ってきません。

何が言いたいかというと、「とりあえず」という選択肢を選ぶと考える時間も短くてすみそうだしリスクも小さいように見えて、その裏で機会や時間を着実に失っているのではないかということです。

軽いノリで「とりあえず」と選ぶのは楽だけれど、ちゃんと考えないと後で後悔するかもしれません。
選んだ後も自問自答し続けて軌道修正を図らないと、もう後戻りできないところまで行っちゃうかもしれません。

先日旅先で、自宅で終末を迎えたいと希望する患者さんを看護しているという方に会いました。
亡くなる寸前によく聞かれる言葉として以下のようなものがあるそうです。
「もっと自分に素直になっておけばよかった」
「あんなに一生懸命働かなくてよかった」
「もっと自分の気持ちを伝えればよかった」

僕は「思考停止のバカが嫌いだ」という文脈で「考え続けることをやめてはいけない」と思っているのではありません。
自分や自分の大切な人が気づかないうちに自分の人生の選択肢を狭め、気づかないうちにもう2度と返ってこない時間を消化し、後になってそれに気づく、という事態をできるだけくい止めたい。

自分のやりたいことを誰もがやれるほど簡単な世の中ではないけれど、程度の差こそあれ、誰もが「自分のやりたいことをやるための努力」をすることはできるのではないかと思います。

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と、まるで自分だけが気づいてるような態度で書いているけれど、きっとみんな同じこと考えてるんだろうな、とも思ったりもします。

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