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クアラルンプールと夏目漱石
https://spinningtop.hatenablog.com/entry/2018/08/12/170409
の続き
『現代日本の開花』で夏目漱石はこう言う。
開花は一般に生活の程度が高くなったという意味で、生存の苦痛が比較的柔らげられたという訳ではありません
どれだけ発展したところで、僕らはまだ僕らの時代なりの「苦痛」を引き受けなければいけない。
逃げ場のない虚しさを感じる。
おまけに、西洋に追いつこうとして無理な開花をしようとすれば「神経衰弱」にかかる、とも忠言してくれるのだから、なんともいじわるだ。
競争が競争を呼び、世界全体がお互いに神経衰弱にかかるような事態は避けたいけれど、一歩間違えれば「過激派」みたいになってしまう気がするのもまたアリ地獄に巻き込まれた気分がする。
俺に任せろ、と意気込むものの自分が進む方向が正しいのかどうかはわからない。
勇気が必要だ。
とりあえず宣言して進み、それでも考えることをやめない、そんな勇気が
————
日本の発展のためには、僕ら自身が当事者意識を持つ必要がある。
しかし一方で先陣を切って進む人たちほど、自分が目指す方向性が正しいのかどうかを常に考えることをやめてはいけないと思う。
壁は2つある。
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