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【時事寸評】少子化問題について騒めく「愚」。

「少子化問題」に関する政府の騒動をみていると、解決策が明確でない「闇夜の狂騒」とだ思う。

問題である点は何と何で、どのような対策が有効なのか、その議論が、未だに、まるで煮詰まっていない。

今回の発端は、2023年02月28日に、厚生労働省が発表した日本国内の出生数(速報値)が前年比5.1%減の79万9728人だったことを受け、岸田首相が「過去にない対策を講じる」と息巻いたことに始まる。
且つ、出生数の減少を予測していた国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の予測よりも(ナント!)11年も早く「80万人割れ」したことに驚愕した政府は、「日本国存亡の危機」と銘打って、大規模対策案を組み始めたのが、大混乱の始まり。

「狂騒」と思う理由の第一は、この問題は今に始まったことではないこと。

「過疎化」とか「限界集落」とかいう言葉をご存じでしょうか? 
スピンの住む鹿児島でも数十年前から過疎化が進み、限界集落が激増した。誰の目にも直ぐわかるほどに高齢化は進み、若者の姿が激減してきた。
勿論、結婚して出産する若い夫婦の数は激減している。

小さな市町村では、小学校に通う児童は激減の一途を辿り、統廃合が繰り返されている。
大雨等の災害では崩れた道路を補修する対策にも人を集めるのに苦労する。
産業を誘致しようにも、小さな商店の働き手を探すのに苦労する状態だから、大規模企業誘致など、夢のまた夢。

ご存じのことと思うが、「限界集落」は田舎にのみ存在することではなく、大都会でも、小さな団地単位で発生している問題。( 「限界団地」をご参照ください )その意味で、他人ごとではない。

何故、「過疎化」や「限界集落」現象が、出生数の減少に関係するのか? 
これらは、若者が住む場所が、ある程度の大きさの都市圏に集中しているために起こる現象であり、大多数の若者が、親元を離れて親の協力・支援なく生きていると想定されるからである。
逆に言えば、田舎に住む若者は、親・親族のなんらかの支援を受けつつ、
ようよう家庭を持っているのが大まかな実態である。

まことに皮肉なことに、都会に活路を求めた若者群の大多数が、子供など
持てない非富裕層となり、田舎に残された親たちの大半が、地域のヘルプ
なくしては生活そのものが不可能になりつつあるという、悲劇的なパターンにハマろうとしている、と言っていい。

これらに手を打ってこなかったのは、他ならぬ自治体・政府だが、忌憚の
ない感想を申し上げれば、効果的な対策など考えつかなかった為に「先送り」してきた、というのが正直なところであろう。

「狂騒」と思う理由の第二は、結婚している夫婦の出産数を増やせば良いのか、それとも、そもそも結婚数を増やす対策を打つべきなのか、焦点が絞れていない議論は、無意味に過ぎないこと。
そんな議論をしても現実的には「絵にかいた餅」の遥か下の成功確立でしかない。

100組の夫婦が200人の子を設けなければ、人口は減少する。

算数ではそうだが、100組の夫婦がそれぞれ二人の子を産んでくれる
ことを願うのは、完全に「神頼み」であることは自明のこと。
そもそも、100人の男性と100人の女性がいて必ず100組の夫婦が
できるなんてことは、まず絶対に起こり得ない。
政府が結婚奨励金や出産手当や育児支援金をピシャリと準備したからといって、婚姻世代の全員が結婚することなど、在り得ない現象であり、それ故に、まるで無意味な対策と断じてよい。

それ故に、少子化現象を政治的に解決しようという騒動は誠に「愚策」。

では、如何にすれば良いのか?

まずは、若者たちが結婚して子孫を育むことができる収入の道を拡大するしかない。
海外に出て行った工場は国内に帰還してもらわねばならない。ただし、生産コストを上げることはできない故に、高付加価値の商品を産み出し、世界に輸出する産業構造を創り上げねばならない。
(なお、そんな事業がIT関連だとは、スピンは全く思はない)

そして、若者たちには、世界で活躍できるよう、基本的な教養と判断力と
専門的技術力と語学力を身につけて貰わないと困る。
同様に、親たちも、子の世話にならないよう、足枷にならぬよう、自立生活を工夫しなければならない。

どちらも、「3時のあなた」的ミーハー番組や、ダジャレ満載のお笑い番組に興じている暇はないことを自覚してもらいたいものだ。
親も子もどちらも、自分たちが活躍できる、自活できる、何らかの方策を
創り出していかないと、誰も助けてはくれないのは確実なのだから。

そもそも「国に人口増加施策を頼もうとする考え」ること自体がナンセンスなのだ。

ご参考までに、最近報じられたかなり強烈な正論を一つご紹介しよう。

スピン 拝。

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