日本がクジラの商業捕鯨を再開

【以下は仏「ル・モンド」紙の記事に基づく翻訳です。元記事のURL:https://www.lemonde.fr/planete/article/2019/06/30/le-japon-s-apprete-a-reprendre-la-chasse-commerciale-a-la-baleine_5483393_3244.html 】

日本政府は、2018年12月に国際捕鯨委員会から脱退すること、および1986年に課された国際的なモラトリアム(一時停止)が今後適用されないことを発表した。

日本は、多様性に対する公式の立場を捨て、国際的な批判に立ち向かい、商業目的の捕鯨を再開する。
豊漁と安全のための儀式の後、7月1日(月)に5隻の捕鯨船が釧路港を出航した。下関からさらに3隻が出航した。これらの2つの都市は、捕鯨の伝統のある港町である。
乱獲を避けるために、水産庁は捕獲の割り当て数を227頭に定めた。その内訳は、ミンククジラ52頭、ニタリクジラ150頭、およびイワシクジラ25頭である。
6か月前の日本の国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退に続き、3年間中断していた捕鯨が再開された。1948年に設立され、クジラ目の数の保護に責任を負うIWCは、1986年からのモラトリアムに従い、これまで商業捕鯨を許可するよう求める日本の要求をたびたび拒否してきた。日本は、1951年からIWCのメンバーである。

31年間で17,000頭のクジラを捕鯨

このモラトリアムにかかわらず、例外により、日本は、科学的調査の見せかけで、捕鯨を行うことができた。日本は、主に南極海と北太平洋海で、31年間で17,000頭近くのクジラを捕鯨した。IWCからの脱退により、捕鯨は日本の領海に制限される。
安倍首相、および政権を担う自民党総務局長の二階俊博氏などの複数の当選者が商業目的の活動の再開を支持している。安倍首相は、山口県で選出され、二階氏は、和歌山県で選出された。和歌山県には太地町がある。そこでのイルカ漁は、Louie Psihoyosによる、オスカーを受賞したドキュメンタリー映画『The Cove』(2009年)の主題になった。
ヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナルの会長であるKitty Blockは、最近の日本の行動は、「時代錯誤的であり、鈍感である」と形容し、さらにそれは、「終局を迎えた産業の名において、日本の国際的な名声に影響を及ぼしている」と付け加えた。シーシェパードのJeff Hansenは、大洋の状態と海洋の生態系でクジラが果たす「不可欠な役割」に言及する。
「商業捕鯨の再開には、明らかに、挑発的で、疑似国家主義的な意図があります」国際動物福祉基金で海洋生物を担当するPatrick Ramageはそう遺憾の意を表明する。
捕鯨の再開により、日本はまたしても国際社会の批判に晒されている。2010年にオーストラリアにより申し立てられた提訴の後、捕鯨は2014年に国際刑事裁判所により、違法と判断された。「南極海で科学の名において捕鯨されることを」望んでいなかった、と当時のオーストラリアの環境大臣のPeter Garrettは説明している。

低い売上

このことが日本による「科学的」捕鯨の追求の妨げにはならなかったことは、日本の一部の人々を驚かせた。日本の首相は国際法の尊重を推奨するからである。
商業捕鯨により、安倍氏は再度日本を明白な矛盾に直面させる。なぜなら、大阪G20の最終的宣言への華々しい署名の2日後に商業捕鯨が再開されるからである。G20の参加国は、環境問題の中でも特に「生物多様性の喪失」に関する「世界的で複雑な問題と困難に対処する」ことが喫緊の課題であることを認識している。G20の後、会談中の批判を避けるために、割り当て数の発表が行われる可能性がある。
商業捕鯨の経済的持続可能性に関しては、疑問符が付く。活性化のためのキャンペーンにもかかわらず、科学的捕鯨に由来するクジラ肉の売上は、少ないままである。日本では、クジラは、戦後復興期に重要な栄養源となり、学校給食で大量に使われてきた。今日、日本人は、一年に一人あたり50グラム余りしかクジラを消費していない(1986年のモラトリアムの前は4.3キログラムであった)。
日本捕鯨協会の山村和夫会長は、ロイターに次のように説明する。「過去30年間に、さまざまな食品が日本に現れました。多くの食べ物があります。もう多数のクジラを捕鯨することで儲かるような時代ではありません」売れ残り品のストックは、何千トンにも達している可能性がある。それでも、捕鯨は、多額の助成金により支えられている。2019年には51億円の予算が計上された。

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