「だれ」と「なに」の関係

noteではどうなの?剽窃への対策はあるの? (by rootport)

面白い指摘ではあるがパクり(「剽窃」という言い方は堅いので「パクり」で統一する。ちなみに「剽窃」と著作権侵害はイコールではないので注意)を無くすのはほとんど不可能。そもそも「どこの馬の骨とも知れないやつ」が「どこの馬の骨とも知れないやつ」のコンテンツをパクっても「だれ」も気にしない(私が書いた文章を誰かがパクって有料で配信しても(私を含めて)「だれ」も気がつかないだろう。「だれ」も気がつかなければどこにも問題は発生しない)。パクりが問題になるのは、パクられた側がある程度以上知られた人で、そのコンテンツの意匠が特徴的な場合だ。こういうケースは多くないし、たいていは人力で排除できる(そのためのソーシャル・ネットワークなんだから)。むしろ気をつけるべきは、こちらにパクり疑惑が向けられた場合だ。

デジタルの世界では作者と作品を客観的に結びつけるものがない(暗号の世界では「電子署名」という方法がある。ただし暗号技術も「信頼関係」がベースになっていることを忘れてはいけない。また作品の「電子指紋」をとることで、少なくともデッドコピーを追跡することはできる。これは YouTube などで既に使われている: 「Dropboxはどうやって著作権侵害ファイルを特定しているの?」)。

オリジナルが「なに」かを証明するのは難しい。出版社が間に立っている場合は,彼等が作者と作品の間に立って,作品のオリジナリティを担保する(建前。実際には出版社は作者とユーザの間に立って掠りをとってるだけだが。でなければ隣接権や隣接権に関する議論が存在するはずがない)。

最終的に作者と作品との結びつきを担保してくれるのは,作者にコミットし続けるオーディエンスしかいない。だから作者とユーザとの関係を構築していくことが重要なのである。パクり云々はその後の話である。

note が作者とユーザの間の「いい関係」に役立つことを期待している。