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「どんつき」の note,「過食症」の Tumblr

Yahoo! Pipes の遮断はいまだ続いているようで,目次が作れなくて困っている Spiegel です。いや,手動で作ればいいんだけど,もう面倒くさくなってしまった。

先週の作業の山場は Tumblr に “Trunk” を作ったことかな(いや前からあったけど)。おかげでここは Branch に降格です(笑)

辞書を引くとわかるけど trunk ってのは(車のトランク的な意味もあるけど)「枝葉」に対する「幹」のこと。で,ネットワークエンジニアの人ならピンとくると思うけど,これって通信用語の trunk のことなんだよね。

私が自分のコンテンツに “Trunk” と名付け出したのは(今は無き) Vox が最初。おそらくソーシャルネットワーク機能を付けた(かつ日本語に対応した)最初のブログサービスだと思う。当時 SNS といえば mixi か GREE かって感じで閉塞感バリバリだったので(まだβ版だったにも関わらず)一も二も無く飛びついた。そのときブログタイトルを考えてて “Trunk” という単語を思い出した。なんというか色んな人のコンテンツをごちゃ混ぜのまま束ねてる感じが trunk ぽいなぁって,そんなイメージだけで決めてしまった。

(その後 Tumblr が台頭してきて Vox で遊ばなくなったらサービスが潰れてしまった。 launch した当初は割と最先端っぽかったのに,あっという間に時代に取り残されてしまったんだねぇ。 note がそうならないことを祈るよ)

Tumblr ってのはそんな trunk 的なコンセプトを更に過激に推し進めたもので,ネットにある膨大なコンテンツを喰らい続け,同時に周囲に撒き散らす様はまさに「過食症(bulimia)」と呼ぶにふさわしい。私もそんな嗜癖行動が面白くてつい “reblog-monkey” になってしまうわけだが,仕事が忙しくなってきてそうも言ってられなくなると冷めちゃうんだよね。「reblog は3日すれば飽きる」って感じ。

そんなこんなで Tumblr で遊ぶのにも飽きはじめてきたころに登場したのが我らが note だった。

でも,2ヶ月以上使ってみて確信したのは, note って「どんつき」なんだよ。「その先」がない。これは多分意図的に用意されていない。 note に誘い込まれた人たちは必然的にそこに「滞留」せざるを得なくなる。

(ちなみにこの「どんつき」って言葉,西日本特有の方言かと思ったら関東でも普通に使われてるのね。ひょっとして方言ではない?)

このような「どんつき」型のサービスは日本にはたくさんある。というより国産のサービスはほとんど「どんつき」になっている。 mixi とか言わずもがなだし,ニコニコ動画や Pixiv もそうだ。いわゆる「ソシャゲ」も残らずそうなっている。

おそらくサービスプロバイダ側はこのような「ディズニーランド型統制」を「善」だと思ってるのではないだろうか。でも Walled Garden の住人は何も生み出さないし,生み出したとしても内部に滞留したままで「外部」からは認知されないのよ,永遠に。(結局もっとも creative なのは「中の人」ではなく「門番(Gate Keeper)」だったりするわけだ)

個人的には Yahoo! Pipes の遮断が trigger となったわけだが,いかなる理由にせよサービスプロバイダが住人に対して「外部を想像する」手段を提供しないのは明らかなので,住人は自らその「欠如」を埋めることを考えなければならない。それが note ユーザの当面の課題で,私としてはその一環として trunk を(敢えて) Tumblr に移管することにしたわけだ。

塞がれた空間の中で関係嗜癖に陥るか,遮るもののない場所で過食症に陥るか。どっちにしても嗜癖問題かよ(笑)