見出し画像

フランソア・トリュフォーという映画監督

映画好きの人であればどこかで聞いたことがある名前だと思います。フランスを代表するような有名な映画監督になった人です。学生時代の英語教師の勧めで観た「アデルの恋の物語」L'Histoire d'Adèle H.(1975年)が私の初めて観た彼の映画でした。主演のイザベル・アジャーニが美しいのは当然ですが、物語の濃さというか情念というかこりゃあフランス映画だなぁと、、正直言って爽快でも感動でも無く考え込んでしまうような映画でした。

気になったのはフランソア・トリュフォーが元々映画評論家で結構辛口批評で有名な人だったこと、酷評されたある映画監督から映画を作れもしないヤツとの反論に応える形で自身で映画を作ったことでした。彼の長編映画の監督デビュー作は「大人は判ってくれない」 Les Quatre cents coups(1959年)です。この映画で彼は一躍フランスヌーベルバーグの映画監督としてジャン・リュック・ゴダールと共に世界中に知られることになります。「突然炎のごとく」 Jules et Jim(1961年)も有名です。その後、毎年のように作品を作っています。

不思議なのは評論家から直ぐに製作者になれるのか?ということでした。実は彼はアルフレッド・ヒッチコック監督の大フアンで評論家時代に直接インタビューしてヒッチコックの映画製作の手法を詳細に分析して本にしてます。邦題は「映画術」、日本では1981年初版だと思います。ヒッチコック作品はサスペンス映画であることから長らくB級映画の烙印の下、作品がアカデミー賞の候補になることも無かったけれど、映画の教科書であることはよく知られてました。トリュフォーはヒッチコックから映画製作を直接学んだのです。

この様に製作者同士の影響は多く見られます。例えば、John Ford作品が黒澤明に影響を与え、黒澤作品がFrancis Ford Coppola、George Lucas、Steven Spielberg達の教科書となり、タクシードライバーを作ったMartin Scorseseは、今村昌平監督を心から尊敬しているそうです。自分の表現したかった事を今村昌平は全てやっていたと絶賛しています。

アカデミー賞の特別賞を受けたアルフレッド・ヒッチコック(車椅子で登場)にイングリッド・バーグマンが祝辞のスピーチを行いました。彼女は、ヒッチコックの映画の演技指導に度々クレームを付けたと言います。「ここでこんな態度は普通取りません」等々、すると決まってヒッチコックは「これは映画です、嘘の話なのですからやって貰えますか」と言ったそうです。それが彼女の女優としての成功の鍵になったと言います。他の映画監督の演出に納得行かなくクレームを言おうと思うとどこからともなくヒッチコックの言葉「・・・嘘の話なのだから、、」が聞こえて来たと会場を沸かせました。終始車椅子に座って無表情だったヒッチコックの口元が一瞬ニヤリとした映像が残ってます。

トリュフォーは、惜しくも1984年に52歳の若さで亡くなります。手の付けられない不良少年が学校にも行かず映画に没頭して映画評論家から作家(映画監督)になり映画界に多大な影響を残しました。フランス人、恐るべしです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?