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とんでもない上司と対立し米国駐在から帰国する

1994~5年頃、米国アリゾナ州スコッツデールに事務所を開設して汎用エンジン事業の可能性を探るプロジェクトのリーダーの役割を担ったことがあります。このプロジェクトを始めるに当たり、上司に当たる担当の課長は同じ事業部内でしたが海外サービス部から海外営業部へ私の異動を主導しました。その課長は、元技術部で汎用エンジン開発実験を担当して米国LA法人に駐在経験もあり、それなりに米国市場への参入に大きな期待をしているようでした。

カリフォルニア州オレンジ郡にある米国法人では、汎用エンジンの取り扱いはモータースポーツイメージの製品群とは違った作業機であることを理由に独自の事務所の開設を進言され、事務所探しから始まりました。このプロジェクトの課長は、その米国法人で勤務経験があるので、ある程度は事務所開設の心当たりがあるのかと思いきや、現地採用したスタッフのマイク・ジョンソンがアリゾナ州スコッツデールに居住していることから、そこで事務所を探そうと言い、また当面は宿舎も兼ねるから戸建てのコンドミニアムで良いだろうとも言い出しました。米国駐在経験者で管理職の課長が言うのだから当時主任だった私から反論することもなかったです。

ところがその課長が勧める戸建てのコンドミニアムは、すべてゴルフ場に併設したものか、ゴルフコース内で裏庭がティーグランドのリクレーション目的のものばかり、色もピンクやスカイブルーなど派手な建物ばかりで、これでは仕事に集中できないと流石に抵抗しました。彼曰く「こんなところで働くことで発想が豊かになるんだよ!」と、もっともらしことを言ってました。結局、彼が米国から南米コロンビアへ出張に行っている間に、通常のレシデンシャル地域の戸建てコンドミニアムを契約することにしました。当の課長からは後に不満を言われました。しかし、彼は出張でしか訪れない事務所であり、そこで毎日仕事をして寝泊まりするのは私と後輩の二人でしたから譲れませんでした。

事務所開設を終えてプロジェクトが始まり出すと当の課長は、だんだんと本性を現していきてゴルフを誘ってくるようになりました。しかし、興味が無いと答えると現地で採用したK社を定年退職したマイク・ジョンソンを誘ってゴルフを楽しむようになりました。どうやら米国出張はゴルフが目的で我々のレポートだけ持参して本社へ帰って部長へ報告していたようです。彼のゴルフ三昧の結果、マイク・ジョンソンはギックリ腰になり、仕事を休まなくてならなくなり、週に2度のカイロプラクティックへの送迎を私がレンタカーで行い仕事どころではなくなりました。上司の強引な誘いで起きたことだから送迎くらいは買って出ました。

ある時、マイクを入れて今後の活動計画を話し合っていると、その課長の話す英語がまったく分からないとマイク自身がこっそり私に耳打ちしてきました。私は、初めての米国出張でもあったことからその課長から「英語は大丈夫だろうな?米国では英語ができないと相手されないからな」と厳しく言われていたので「???」って思い始めました。痺れを切らして、彼が言おうとして内容を要約して私がマイクへ説明しました。そうするとその課長が「なんだしっかり英語しゃべるじゃないか」と言い出して”なんだこの人は“と思い始めました。

彼は英語が米国人に通じず、出張中はゴルフ三昧、挙句に夜は長酒に我々を誘いグダグダ話をされ、課長がこれじゃあまともな仕事は出来ないと思い、このプロジェクトから外れることにしました。当時はファックスで本社とコレポンを行っていたので、これこれこういう理由で課長を外すか私を外すかして欲しいと部長へ直訴しました。どうやら本社事務所のファックスに夜の間に溜まっていたその文面はお喋り好きの同僚に見られたようで、帰国して出社すると「おっ、ICBM(大陸間弾道弾の意)が戻ってきた!」と冷やかされてしまいました。当然、部長からは管理職の課長を外すわけにはいかないから私を外すことにしたと告げられました。次の任務は東南アジアを担当する課で活動するように言われ、その課長の方を見るとニコニコ嬉しそうな顔をしてました。

その問題の課長も同じ部内でしたが随分と上司に叱責されたのか、私が退職するまで話すことも目を合わせることも有りませんでした。どうやらその後、数ヶ月続いたそのプロジェクトは結果も出ず終了したようです。私よりストレスを抱えてた後輩には悪かったですが、当時は時間を無駄にしたくない思いが強かったと思います。友人であった人事課長から後で聞いた話によると当該課長は社内でも随分と評判が悪く、一体誰が管理職に推薦したのかと囁かれるほど問題の多い人だったようです。

その後時間は過ぎ、私も二度転職して20年くらい経った頃、元競合メーカーの米国内に汎用エンジン販売網を持つ現地法人の販売会社の譲渡を受けて、勤めていた会社が本格的に米国市場で汎用エンジン事業を展開するとの記事を読みました。あれから20年もの歳月が掛かったんだな〜と懐かしむ反面、事業にはタイミング(ツキも含めて)があるんだなぁと痛感しました。既に世代も随分変って、昔にそんなプロジェクトがあった事を知ってる人は居ないだろうと思います。

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