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Y社在籍中の最後の出張は、フィリピン国

1997年6月頃、フィリピン出張でセブ島及びミンダナオ島でバンカボートの推進動力として汎用エンジンの需要の可能性を探るため現地調査しました。

マニラからセブ島へ飛び、セブ島北海岸のバンカボートが多い海岸で色々搭載されているエンジンを見たらほんとんが古い大きなアメ車のV6ガソリンエンジンでした。多分ジプニーと同じエンジンだと思います。

その後、カガヤン・デ・オロに飛んで陸路でダバオまで行きました。出張前にはJICAの試験を受けてました。先輩で友人でもあった川合人事課長から呼び出され、人事部長(兼取締役)の見解としてJICA調整員はJICA自体の職員業務でありボランティアや専門家ではないので休職扱いはできない、これを認めたら民間企業から役所にどんどん人材を引き抜かれることになると伝えられました。「〇〇くん、もうこれが結論だよ。選択の余地はないからね。当然会社に残るよね?」、「じゃあ退職するしかないんですね」、「何⁉︎ 何言ってんだ!会社に残るんだよ!」。どうやって会話を切り上げたかは覚えてませんが、先輩の捨て台詞は覚えています。「なんで〇〇くんみたいな奴が辞めなくちゃならないんだ!辞めて欲しい奴が山ほどいるのに、、」。

ダバオ滞在中は、JICAの合否の連絡待ちでした。確かある期日に電話するか掛かってくるかのどちらかで口頭で通知だったと思います。何にしてもダバオで採用の確認がとれました。後は、当時の営業部長への最後の意思表示が残ってました。その部長はインドネシア現地法人社長職から戻ってきた人でした。随分前に、私のボランティア参加をニヤニヤしながら「どうせ柿さんの仕業だろう?」と送り出してくれた前任の佐藤洋介部長とは違ってました。実は、私の本社勤務でもっとも心から尊敬していた人がこの部長でした。外語大出て空手部主将をやってたとは聞いてましたが、紳士とはこの人のことだと思わせる人でした。佐藤部長時代の営業部内スピーチで忘れられないものがあります。

彼は、「近年我が社の業績は残念ながら良くありません。実は地元磐田市への法人税納付も猶予させてもらっている状況なのです。皆さんもご存知のように磐田市にはさまざまな便宜を払ってもらっています。そして、我が社は市の財政を支える最も重要な納税者の一人でもあるのですが、その責任を果たせていません。これは我々のプライドの問題でもあります。どうか皆さんの協力でしっかり納税できる結果をだしましょう」、営業部長と言えば頑張れだの根性だのとイメージされますが佐藤部長は全く違いました。誠実な人柄から静かに話をされる姿に若造ながら感動したことを覚えています。部内の全員が彼を心から尊敬してました。質実剛健とはこのような人を言うのだと思います。

その後の部長は、私の目から見ても役不足の人ではありました。ダバオからJICA採用の確認が取れたことを電話で知らせ、部長からは「じゃあ、お前が帰国した時に話そう」となりました。ダバオでは、敷地内にプライベート・ビーチを持つリゾートホテルに滞在してました。昼食後に起きる腹痛はその日もありましたが、その時は特別痛くて体全身に震えがでるように苦しみました。気付くと夕方でした。痛みで気を失ったのか、そのまま寝てしまったのでした。過酷な海外出張をずっと続けて来た体は随分とガタが来てたと思います。ジェネラル・サントスへの移動の途中の景色、道端てマグロの大きな切り身(トロを含むお腹の部位)を炭火で焼いている露天商など田舎の良い風景を覚えています。

腹痛、退職の準備と慌ただしい最後の出張となりました。帰国後は、部長に最後の説得を受けました。本人は、朝日新聞社からの転職組で、如何にY社が良い企業であるかを説明してましたが、最後に「お前、後悔するぞ、、」と言われました。黙って聞くのが礼儀とは思いましたが、そうですねとは言えません。「例え、傍から見てそう見えても自分の過去を否定して生きて行くことはできません。肯定するしかないと思ています」と応えました。「お前、根性座ってるな~、分かった、頑張ってくれ!」。これで退職が決まりました。直属の上司である平田課長から呼び出されて、いつもは嫌味ばかり言ったり、酒を飲むと泥酔していつもスタッフが自宅まで抱えて届けるようなちょっと変わった人から改まって「○○さん、最後だからあんたにはっきり言う。あんたのスペイン語は文句なしや!英語も良い、どこでも通用する。頑張ってくれ!」、外語大でスペイン語を専攻した人でブラジル駐在も経験した人から関西弁で言われました。ありがとうございますと素直に応えました。

退職日、事務手続きを済ませて皆に見送られることがないように、少し早く本館事務所をでました。本社工場前の坂道を下りながら振り返って正門に掲げられた大きなYAMAHAの文字を見るとなんとも言えない気持ちになりました。厳しい会社ではありましたが、鍛えられました、感謝です。

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