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黒澤明監督作品『羅生門』を観る

1950年公開の白黒映画。撮影監督は宮川一夫。主演は、三船敏郎(多襄丸)、京マチ子(真砂)、森雅之(金沢)。原作は、芥川龍之介の「藪の中」と「羅生門」。脚本は、黒澤明と橋本忍。黒澤明の映画作家としての名声を世界に広めた最初の作品。特に白黒の映像美には高い評価を受けました。例えば、木の梢からの木漏れ日を撮影したことは、当時レンズを太陽に向けることは非常識と思われていたが、その表現力に世界の映像作家が驚きました。

物語(ネタバレです)は、屋根の半分が無惨に崩れ落ちた羅生門で雨宿りをしていた3人の男の会話から始まります。二人は杣売り一人は旅法師。旅法師は「分からん、どうしても分からん」と自身が参考人として参加した検非違使(裁判の場)で見聞したことを思い出しながら呟きます。雨宿りで退屈している杣売りの男が興味を持って話を聞きたがります。そして起きた事件と検非違使でのことを話します。

事件は、夫婦で旅をしていた武士の金沢と馬上の妻真砂が木陰で昼寝をしていた多襄丸の前を横切ったことから始まります。午後の木漏れ日に眩しそうにした多襄丸の目に市女笠が風に靡き見えた真砂の美しさに欲情を覚えた多襄丸は、夫婦の後を追って妻を手篭めしようと企みます。

多襄丸の証言: 自分の目の前を横切った時の真砂の姿に欲情して金沢を騙して縄で縛り上げ、真砂を手篭めにしたと語り、真砂が気丈にも男らしく堂々と二人で決闘して勝った方の妻になると告げたと言う。そして多襄丸は相手に刀を渡して勝負をして勝ったが、その時には真砂はどこかに逃げて姿は見えなくなったと語った。

真砂の証言: 多襄丸に手篭めにされた後、多襄丸は金沢を殺さずに去っていった。真砂は直ぐに縄で縛られた金沢を助けようとしたが、夫の前で辱められた妻を蔑むように見る目に耐えられず、夫に彼女を殺すようにと懇願し気絶してしまったと語る。目覚めると夫には短刀が刺さったまま死んでいたと言い、自身も自殺を試みたができなかったと検非違使でか弱く泣き崩れた。

巫女の口を通した金沢の霊の証言: 多襄丸に真砂を手篭めにされた後、妻の真砂が多襄丸について行く代わりに夫である金沢を殺して欲しいと懇願しだした。その浅ましい姿に多襄丸も呆れて「この女を生かすも殺すもお前が決めろ」と金沢に訊ねた。多襄丸のこの言葉を聞いて彼を許してやっても良いと思った。しかし、それに驚いた真砂は逃げてしまい。多襄丸も去っていった。無念を嘆き、短刀で自害した。死後、何者かが自身に突き刺さった短刀を抜き去った。

この話を聞いていた杣売りの一人が、「3人とも嘘を吐いている」と言い出した。杣売りは事件の一部始終をこっそり物陰から見ていたと言う。巻き込まれるのを恐れて黙っていたが、本当は多襄丸が手篭めの後に真砂に妻になってくれと懇願したが、相手にされず、真砂は金沢の縄を解いた。すると真砂は「夫の前で辱めを受けた侍の妻として自害しろ」と言われてしまう。この言葉に真砂はキレて両男の身勝手を、多襄丸には夫を殺してでも奪っていく気がないと言い、夫には妻が襲われたのに相手に仕返しをしようともしないと批判して互いを戦わせようとした。そして、二人の男はビビりながら刀を取って決闘を始めてしまう。結果、多襄丸は金沢を殺してしまうが、人を殺めたことで動転して腰が抜けてその場から這いずりながら逃げていく。真砂もことの重大さに気付きその場から逃げて行ったと説明した。

これを聞いた旅法師は、3人の告白はそれぞれの見栄のための虚偽であることに言及して「分からん」と呟いたのでした。その時、羅生門の物陰で赤ん坊の鳴き声が聞こえてくる。捨て子だった。杣売りの一人は赤ん坊を包んでいた着物を奪い取り赤ん坊は放置するともう一人の杣売りが「何をする!」と咎めるが「この世の中身勝手でないと生きては行けない」と言い「現場で無くなった短刀、お前が盗んだんだよなぁ?」と逆にもう一人の杣売りを黙らせてしまう。旅法師もそれを聞いてハッとしてしまう。しかし、そう言われた杣売りはその赤ん坊を懐に抱え込み連れ去ろうする。それを見た旅法師は慌てて「何をする気だ!」と咎めると「子沢山の貧しい家だけど、自分の子として育てる」と答える。雨が上がった羅生門で旅法師は杣売りを責めた自分を恥じて、人間の良心に希望を感じて終わる。

初めて観たのが17歳、一人で学校の視聴覚教室の大きなプロジェクタースクリーンでした。チャンバラ劇を期待していたハズがとんでも無く重い内容にぐったりしてしまったことを思い出します。英語の教師が最初に観るように言った黒澤明の映画でした。きっとこの映画が映画を好きになった原点だと思います。

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