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Y社を退職した理由

子供の頃からオートバイが好きで運転免許証が取れる年齢になる前からこっそり乗って楽しんでました。16歳になると直ぐに中型自動二輪免許を取って、その1年後には限定解除してもらい憧れていた750ccのオートバイが乗れるようになりました。就職もオートバイメーカーに入社でき、四国の販社で3年間テクニカル・サービス・スタッフとしてほぼ1年中オートバイに触れているような生活を経験しました。その後、もう一つの夢であった海外へ出て行くような仕事を経験したくて希望してると本社の海外部門への転勤が決まり、それからそれまでとは全く違った仕事を経験する機会を得ました。

海外部門での仕事は、それまで営業所レベルで経験してきた個人でやる仕事と組織を動かすやり方の根本的な違いを理解すること、そして考える内容が県内の販売店に向けた営業所の活動から世界市場を相手にする本社事業部ビジネス全体から自分の役割へどう繋がっているのかという視点で考えるやり方へ完全に変わりました。また要求される知識のレベルも雲泥の差で、学生時代の機械工学関連の専門書を全部読み返すような生活になりました。併せて英語学習漬けの日々でもありました。

本社勤務を始めて1年後には約2年半のボランティア参加休職を認めてもらい南米に行かせてもらうことができました。復職後は、事業部で取り扱っている製品の全ての取扱説明書、サービスガイド、マニュアルほか印刷物の制作を担当させてもらい資料作成の基本的な事を学びました。1年も経たないうちに欧州出張を皮切りに中国市場担当になり、モンゴル、ベトナム、フィリピンにも拡がり念願の中南米も担当するようになりました。そこでは市場開拓につながる仕事ばかりをさせてもらっていました。これは性分にも合ってワクワク、ドキドキの連続で知らない国の知らない街を訪問してどのような販売・サービス網があればいいのかなど考えていました。

当時の海外出張は短くて2週間くらい、長くて1か月半から2か月の期間でした。出張最多の年は7回でしたから1年の半分以上は海外出張に出ている感じでした。帰国後は、次の出張準備と出張中に消化出来なかった有給を取らなければならないような状況でした。業務は厳しいものでしたが自分で企画してどんどん実現して行くことは面白くて楽しかったです。充実した仕事をさせてもらったといった感じです。ある先輩から「お前は全社の中でも一番面白い仕事をやってるからなぁ!仕事に文句を言ったらバチが当たるぞ」と言われその通りだと思いました。

そんな仕事を続けている時に初めて後輩が同じ職場に配属されました。当然、彼は一番若いスタッフなので職場皆の期待を受ける存在でしたが、本人は全く希望してなく、自身の故郷の近くの営業拠点への転勤を希望していたとのことでした。海外にも興味が無く、外国語もできないのに東北の拠点から本社海外部門への転勤は嫌がらせ人事だと本人は思っていたようです。私は、そうは言っても知らない国や土地に行ったり、自分で企画した政策が上手くいった時の達成感など面白いことあると、事あるごとに話をしてました。一時は、彼がそのように考え始めたようにも見えましたが、結局1年くらいで退職しました。退職を願い出る前に彼自身から「どう頑張っても先輩のようにはなれないことが分かりました」と告げられました。これはショックでした、もしかしたら本人の希望ではないことに努力を強いていたのかもと思ったものでした。彼が退職した後、私はまた職場の最年少スタッフに戻りました。主任という肩書きでしたから職位的には管理職手前でしたが、自分のテリトリーの業務は全部自分でやることは変わりませんでした。

後輩に視野を広く持つようなことを言ってた割に自分自身はその会社の経験しか無く、彼が転職した先の会社のことなど何も分からないことも気になり出しました。そして、事業部内の部門異動もありましたが当時やってた仕事の将来を考えると3年後も同じようなことをやっているだろうなと思い始め、いやきっと5年後も同じことやってるかも知れないと思い始めると、そろそろライフ・チェンジだろうなぁと漠然と考え始めました。そんな時にJICAの青年海外協力隊調整員を募集する封筒が自宅に届いたのでした。書類には、調整員の応募者は多いが合格者が少なく事業運営に支障が出てきているような内容でOB/OGにチェンジしたもらいたいと書いてました。会社へはもう一度休職扱い願えないかと尋ねましたが当然無理だと言われ試験の合格通知が来たところで退職を願い出ました。だから理由を訊かれると「ライフ・チェンジ」としか言いようがありません。希望しても行けないような部署で好き放題な仕事をやらせてもらい退職ですから、頭下げてお願いしました。

退職時に上司に言われた「後悔するぞ」は、今でもはっきり覚えてますが、戻りたいと思ったことは失業中でもありませんでした。繰り返しでは無く新しいことをやると決めたのだから後悔するくらいなら退職してなかったと思います。

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