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サルトルの「自由への道」を読む

ジャン・ポール・サルトルの小説、それも第三部は未完です。彼は、実存主義の体現者が現実世界でどのように振る舞うかを小説と言う手法で表現しまた。読んでる人はご存知でしょうが高校の哲学教師マチュウが主人公です。様々な世の中の道徳的な事柄に直面する主人公が描かれています。

元々実存主義の哲学的解説を「存在と無」で著述したのですが、これ難しすぎる。「水いらず」や「嘔吐」で文学的に書き換えようとしたのでした。確かこれでノーベル文学賞を受賞するのですが、自身は文学者では無く哲学者だと言って受賞を辞退します。

実際の生活で感じるサルトルから学んだこと、
「人間は人間として生まれるのでは無く、日々の自らの選択で人間に成っていくのだ」と。人は、大きなことから些細なことまで日々無数の選択を意識して、又は無意識で行なっています、その過去からの「選択」の結果が今の自分自身だと言っているのです。

「自分がその行為をやろうかやるまいかと悩んだ時、世の中のすべての人がその行為をやったら世の中がもっと良くなるかを自問自答してみると判断ができる」と。これもなかなか言えてるなと思います。そのように考えない人は、不誠実だとも言ってます。

もっと色々言ってると思いますが、この「選択」と「自身の行動のモラル」の考え方は強く影響されました。自分の思い描く人間に成りたければ、そのような選択を日々行うことと言うことです。如何なる環境にあっても「選択」出来る自由があると言うことですね。今の自分は、過去の選択の結果であって自身が意識するしないは関係無く自分で選んだ道と言うことです。

「自由への道」第三部では、第二次世界大戦でドイツ軍がフランス、パリに侵攻して市街戦が展開される場面があります。左翼思想がかった主人公マチュウは、共産主義者との会話で彼らの欠点を炙り出します。戦争反対の立場である彼ですが、純粋にパリを守るために軍隊に入隊し、実際の戦闘に巻き込まれて行きます。辺りがドイツ軍によって制圧されている中、建物の影に隠れて目の前の敵、ドイツ軍に向かって飛び出して行った時に一斉に銃撃音が響くところで小説は終わります。

その後、サルトルはこの小説を書き続けることが不可能になったと言ってます。やはり主人公はあの場面で戦死したと思われます。実存主義的考えの主人公が、世界大戦の中、攻めてくる敵を前にした状況でどのような振る舞い(選択)をするかを描いた結果でした。

アマゾンの街で暮らすことが決まって日本から持参した本は、「自由への道」と「万葉秀歌」でした。帰国後、最初の出張でパリに滞在した時、週末の休日にモンパルナス墓地を訪れました。入り口近くには大きなボードレールの銅像があり歴史と文化を感じさせるものでした。サルトルの墓石を見つけて気付きました。直ぐ隣に同じ墓石で手が繋げるような距離でシモーヌ・ド・ボーヴォワールの墓がありました。同じ志のシモーヌ・ド・ボーヴォワールとの関係も話題になっていましたが、やっぱりサルトルは凄いわ、と思いました。

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