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ペルー極左テロ組織センデロ・ルミノッソの時代

私がペルーで活動していた1987〜1988年は、毛沢東思想の極左共産主義テロ組織センデロ・ルミノッソが山岳地帯のテロ活動から都会へ移動してテロ活動を始めた頃でした。

彼らは、農民による武装蜂起で共産革命を起こして毛沢東が成し遂げた中華人民共和国の設立と同じことをやろうとしました。リーダーは、アヤクーチョ県にある大学の哲学教授だったアビマエル・グスマン(通称エル・ゴンサーロ)。彼らの敵は、ブルジョワ、外国人、支配者階層の人々全てです。主なテロ活動は、要人暗殺、高圧鉄塔の破壊、自動車爆弾による破壊行為、記憶によると年間2500人くらいが犠牲になっていました。日系関係では、東京銀行リマ支店長、日産自動車社長、そしてJICA専門家3名も犠牲(1991年7月12日)になってしまいます。その後、JICAはペルーから撤退します。

当時は、トケ・デ・ケダと呼ばれる夜間外出禁令(午前1時〜5時)が敷かれて、街には軍隊の車両が展開されてました。この時間帯は人権が停止される時間帯です。ですから誰かが外出してたとして軍によって射殺されてもニュースにもなりません。首都空港の出入りは軍によって管理され銃口を向けられたまま身分証明を確認するようなことをやってました。

こんな時代にペルー人映画監督、フランシスコ・ロンバルディは「la boca del lobo (ラ・ボカ・デル・ロボ=狼の口)」という映画を作ります。ある山岳地帯の村がテロ組織の拠点になっているとの情報から軍がそこに駐屯地を設営し、テロ退治を試みます。しかし、村人の一人一人は虫も殺さないような典型的なアンデスの田舎の人々、軍人たちは気が緩みます。しかし、毎晩1人また1人とちょっと宿泊テントから外にでると残忍な方法で殺害されてしまいます。軍隊もどんどん精神的に追い詰められていきます。しかし、昼間に村人の家々を捜索しても武器等一切でてきません。

精神的に追い詰められた隊長は、村の崖淵に村人全員を整列させ部下に一斉射撃で殺害を命じます。一人の隊員がそれを拒み、隊から逃げ出してしまいます。振り返ると村人が銃殺されているシーンがスローモーションで見えてきます。必死で走って逃げる隊員、もう村から随分離れたと思い走るのをやめて山道を歩き始めます。振り返ると後ろは暗いトンネルのように見える木々に覆われた山道、前を向くと同じくうす暗い木々に覆われた山道。どこからでもテロリストがでてきそうな雰囲気から隊員は恐怖を感じます。しかし、後戻りはできません。目の前の薄暗い山道に向かって歩みを続けるところで映画は終わります。観終わったときは、怖かったです。映画館からでてきたリマの風景はもっと怖かったです。今、この国で起きてることと思うとなおさらでした。

幸い1992年9月12日早朝に首領であるアビマエル・グスマンは他の最高幹部を含め身柄を拘束されます。実は、その日の早朝5時頃(ほぼ同じ時間帯)、いつも出張で利用してたミラフローレス地区にあるホテル・パルドからタクシーで首都空港へ向かう途中、ラジオニュースでセンデロ・ルミノッソの首領逮捕を聞きました。タクシーの運転手は無言でした。私は、聞き間違えたかと思い運転手に訊きました。「今、アビマエル・グスマンが早朝に逮捕されたって言ったよね?」、「ああ、いつものことだよ。後で人間違えでしたって言い出すよ」と素っ気ない反応でした。

早朝の飛行機で隣国、サンチアゴ・デ・チレに異動し、ホテルで朝食を摂りながら朝刊を見ると一面にグスマン逮捕の文字がヘッドラインになってました。10年以上もペルーを恐怖の底に陥れ続けた組織の崩壊が始まったと安堵したことを覚えています。フジモリ大統領の功績は大きいと思っています。

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