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パラカスからリマまで貸切タクシーの旅

タクナから長距離バスに乗ってナスカまで移動しました。地上絵を見た後、ナスカで一泊するかイカで一泊するか迷った末、イカで一泊することにしました。イカで泊まったホテルは酷かった。多分今では観光地化されているだろうからホテルは清潔だろうと思いますが、当時のホテルは酷かった。服を着たまベッドで寝るような感じでした。

気を取り直してリゾート地のパラカスへ向かいました。当時から海辺のリゾートだったのでホテルもそれなりでした。あるリゾートホテルでチェックインしようとレセプションへ行くとカウンターで何やら揉めてる女性2名の客が居ました。英語で何か言ってたのですが通じないようで困ってたと思います。二人で話す時は日本語になったので、声を掛けて通訳をしてあげました。問題が解決して私もチェックインしました。

リマを出てそろそろ1ヶ月、ヒゲを剃ることなくアンデスの山を旅行して回ってたのでちゃんとしたホテルで湯船に浸かってヒゲを剃って1ヶ月振りにスッキリしました。気分爽快でプールサイドでビールを飲んでると受付で困ってた日本人の女性二人が現れました。「どうも!部屋は大丈夫でしたか?」と声を掛けたら怪訝そうな顔をして「どなたでしょうか?」「???」「先程、レセプションで通訳した者ですが、、」「ええええっ‼️、別人でしょう!ヒゲは?」「剃りました」「びっくりです、まるで別人」と言って同じテーブルでビールを一緒に飲むことになりました。

聞けば1人が自分の恋人、ある青年海外協力隊員を追いかけてペルーまで来たとのこと、もう一人の方は彼女の友人で付き添って来たとのこと。でも、まだその恋人には会えてないと言い出し、これはもしかしたらまずい事になると心の中で思い始めました。彼女が追いかけて来たその人は私もよく知った人で既に別の異性の友達がいるのは皆が知っていることでした。女性の友人が「何か彼のことで知りませんか?」と言い出し、まずいな直球の質問が来たよと一瞬緊張しました。正直に話して自殺でもされたらと思ってしまい。「その人とは面識がある程度でよく知らないんですよ」と無難に答えました。「私たち彼には協力隊員の恋人がいるという噂を聞いたんですよ」とも言い出し、この誘導も危ないと心を落ち着かせて「そうなんですか?聞いたことないです」と知らぬふりをしました。すると「ほらねえ、大丈夫よ!」と友人がもう1人の女性を励まし出しました。アブね〜ッと心で呟きました。

この手の話は、避けるに限るとこれまで何処を旅行して来たかをお互いに話しだしました。どうやら明日にはリマに戻るそうで、宿泊先のミラフローレスのホテルまで貸し切りタクシーで移動すると言い出しました。「言葉が通じないから貸切のタクシーで来ました。運転手のおじさんが親切で助かってます。明日も同じ運転手です」、「豪華な旅行ですね」と言うと「そうだ!一緒にそのタクシーに乗ってリマまで戻りませんか?」「でも貸切ですよね?、運転手が乗せないと思いますよ。治安悪いし」と応えると、「私たちからお願いすれば大丈夫だと思います。」と言い出しました。

次の日の朝、大きなアメ車(多分70年代のダッジ)が既にホテルの前に来てました。彼女たちが運転手にカタコト英語で私を同乗させて欲しいと言ってるのは分かっているようでしたが、ダメな理由を説明しても彼女らにはスペイン語が通じませんでした。見兼ねて間に入って「彼女たちからリマまで一緒に行こうと誘われたんですよ」と言うと「あんたスペイン語を話すの?じゃあ彼女らに説明してよ」、「会社の規則で契約顧客以外絶対に乗せてはいけない事になってると、違反するとクビになるんだよ」と。一応、彼女らに説明はしたけど彼女らは「お願いしま〜す」と運転手に頼み込んでいました。私は「どうですか?私を彼女らが雇った通訳として同乗させるってのは」、「・・・そうだなぁ」「彼女ら助かるし運転手さんも助かるでしょ?、ちゃんと私は自分の料金も払いますよ」、「分かった、良いよ」、彼女らは大喜びでした。大きく広いタクシーの中は後部座席に彼女らが座り、私は助手席に座って道中通訳をしました。運転手は本当に良いおじさんで、自分の娘のような年頃の彼女らに日本での生活やペルーの印象を色々訊きたかったようで「あんたが居て本当に助かったよ、リマからパラカスへ行く道中は言葉が通じず困ったんだよなぁ」と。

タクシーで約3〜4時間の旅、ミラフローレスの目的のホテルに着いて彼女らにサヨナラして、今度は私をサン・フェリーぺまで届けてくれました。そして運転手に「いくら払えばいいの?」と訊くと「料金は彼女らにもらってるから気持ちで良いよ」と言ってきました。でも4時間だもんなと思い、当時の最高額紙幣500インティ札を1枚差し出して「ありがとう楽しい旅ができたよ。」と告げると運転手は慌てて後部トランクを開けて、多分途中で家族の為に買ったであろう大きなビニール袋に入った山ほどの新鮮な果物を私に差し出してきて「これ受け取ってくれ!」と言ってきました。ありがとうと素直に受け取りサヨナラしました。

当時のペルーてこんな人が結構居たんですよね、Viva Peru!

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