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「君らも歳をとったら演歌を聴くようになる」は本当か⁉︎

学生時代に歴史の教師が言った言葉です。当時、ロックミュージックが若者の音楽と捉えられていました。チャック・ベリーやエルビス・プレスリーに続きブリティッシュロックが花開き、ローリング・ストーンズやビートルズが登場し、次の世代なのかディープ・パープル、クリーム、クイーン、ポリス、米国もブロンディなど世界的に知られるロックスターが誕生しました。日本の時代的には歌謡曲からフォークソング(後にニューミュージックとか言われてました)ブームが起き、その後和製ロックが誕生します。中学生の時に行ったスージー・クアトロのライブが初めての米国ロックを生で聴いた体験でした。

福岡では何と言ってもサンハウスの登場が明太ロックを決定付けたと思います。チューリップ、ザ・モッズなども続々と出て来ていました。そのような時代背景の中で歴史の教師が言ったのです。「君たちは今は若いからロック音楽など聴いているが、歳をとったら皆演歌を聴くようになるんだよ」と、。首を傾げると共に本当か⁉︎と心の中で呟きました。確かに年齢と共に音楽の嗜好も変化します。個人的には中学生頃のフォークブームの影響で井上陽水、吉田拓郎の楽曲はよく聞いてましたが、そもそも小学生の頃はエルビス・プレスリーなどを聴いてましたからビートルズや日本のキャロルへの変化は直ぐに起きました。その後、ポリスやブロンディの楽曲が好きになりました。学校を卒業して社会人になった頃はジャズ・トランペット音楽、サッチモ、クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリス、マイルス・デイヴィスやブルースの憂歌団、ローリング・ストーンズばかり聴いていたと思います。

その嗜好の傾向が大きく変わって来たのは南米で生活をしてからです。そこではサルサ、クンビア、メレンゲ、バチャータと踊りの為の音楽、それにカリブではスカ、ソン、レゲエなどもあり、アンデスの山々ではフォルクローレが演奏され、踊りの楽曲はワイノが演奏されます。アルゼンチンのメルセデス・ソーサ、アタワルパ・ユパンキなど有名な歌手も知りました。モダン・タンゴのアストール・ピアソラなども聞いてました。また、ペルーの太平洋側はクリオーヨ(スペイン人の南米生まれ)たちが好むムシカ・クリオーヤという音楽が演奏されます。ポルトガルのファドにも似た哀愁のある音楽です。ラテンのリズムに圧倒されました。当時、世界的に有名になっていたのはグロリア・エステファンとマイアミ・サウンド・マシーンでした。これでもかとラテン音楽全開のバンドでした。楽曲は英語でもスペイン語でもキューバから亡命したバイリンガルのグロリアが歌い、マイアミだけではなく中南米全域ででは圧倒的な人気でした。コロンビアからは後にシャキーラが世界的に有名になります。盲目のギタリスト、ホセ・フェリシアーノ、ドミニカのファン・ルイス・ゲラは定番のミュージシャンでした。ラテン・アメリカの音楽産業はメキシコが牽引してます。同国はルイス・ミゲル他多くのミュージシャンが活躍しています。

スペインのフラメンコ音楽も南米で体験することになりました。スペインにとってスペイン語圏は音楽産業での重要なマーケットです。ブラジルからは、ショーロ、サンバ、ボサノバという音楽が発祥します。ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビンなどボサノバを作った人たちは有名です。ギタリストではルイス・ボンファ、バーデン・パウエルなど突出した人たちもいます。南米で生活していた当時、カオマというグループが「ランバダ」という楽曲で人気が出ていました。ポルトガル語で歌われていたのですが、スペイン語バージョンもあり、その歌詞の内容が男女のペアで踊るようなものではありませんでした。調べるとボリビアのロス・カルカスというコチャバンバを拠点に活動するフォルクローレ音楽のグループが作ったものでした。どうやらその楽曲がダンス音楽に編曲されたのでした。その後、世界的に知られることになります。

日本に帰国してギターを再開した時にはクラシック音楽の演奏とフラメンコギターを弾けること目指してました。パコ・デ・ルシアの影響です。クラシックギターではブラジルのショーロという音楽もよく弾きました。そうするとボサノバも自然と聴くようになりました。その後、アコースティックギターで弾くブルース、ロバート・ジョンソン、ビッグ・ビル・ブルンジ、ライトニング・ホプキンスなどからジャズギター音楽へ興味が移り、ウェス・モンゴメリ、ジム・ホール、グラント・グリーン、ケニー・バレル、パット・マルティーノ、パット・メセニー、ジョン・スコットフィールドなどをよく聴いてました。最近はジャズ・ギターとトランペットの演奏に繋がる音楽を聴きながら、たまに未だに現役のエリック・クラプトンやローリング・ストーンズなども聴きます。エレキ・ギターのBBキングは随分後になって聴きました。彼はエリック・クラプトンとアルバム出してます。

学生時代に教師が言った「ロックは若者の音楽」は、今どうでしょうか? もう70歳代後半になろうとしているクラプトンやストーンズは若者向けに歌っているのでしょうか? 違うと思います。彼らはブルースを演奏すること自体を楽しみ人生の糧としてその楽曲を作って生活をして来たフロント・ランナーだったと思います。前述したブルース・ギターのスターたちの時代は、まだ録音技術も機材やスタジオが必要で、レコード制作も資本が無ければでませんでしたが、今は違います。そして彼らの生き方そのものが若いミュージシャンの指針にもなっています。これは凄いことだと思います。

YouTubeで若い頃のローリング・ストーンズがシカゴのブルース界の伝説マディ・ウォーター自身が経営するライブハウスに行った時のビデオを見ることができます。大御所のマディ自身が演奏して歌ってるのです。すると若いローリング・ストーンズのメンバーが客席に着いたのを見て、「ミック、キース、ステージに来いよ!」とマイクで呼びかけます。すると二人はステージの上がり演奏してた曲に加わってミック・ジャガーは歌い、キース・リチャードはギターを弾き出します。もの凄いリスペクトが見えます。クラプトンはBBキングの前では少年のようになり、ジョー・ボナマサはクラプトンの前では直立不動で挨拶をするほど尊敬しています。文化を継承して作り上げ、若いミュージシャンの生き方の指針も示しているような人たちです。

自分で楽しみながら楽器演奏し、音楽を作り、仲間とジャムセッションをする。音楽は素晴らしいです。でも、私は、まだまだ演歌に辿り着くには時間がかかりそうです。

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