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仕事をしながら大学院で学位を取得する

会社勤めの傍ら大学院で研究をするというのはちょっと考えただけでも大変だろうなとは分かります。まず、決めたことは社内の飲み会は出来る限り断ること、通勤電車内では必ず課題図書を読むこと、帰宅後は入浴、食事を早く済ませて3〜4時間くらいの勉強時間を確保すること、週末は金曜日、土曜日は徹夜で足りない勉強時間を補うことでした。

2年間の短い期間とは言え、その間に課題及び確認や補完学習として読んだ本は結構な数に及びました。特に原書の専門書の数が増えました。寸暇を惜しんで本を読む感じでした。その中で金曜日の夜ほどうれしい時間はありませんでした。寝る時間を気にせずに勉強に集中できる絶好の時間帯でした。巷ではハナキンと夜の繁華街は賑わう時間帯は、課題をこなしたりしていました。

一番苦しかったのは、息子のソフトボールのクラブチームの活動支援でした。週末以外の練習は、普通会社勤めの親は参加できませんが、週末は当番制でコーチ役を務めます。試合の日は、審判を行います。ある試合の日曜日、福岡空港近くの板付小学校で行われた試合で三塁の審判を徹夜明けでやってると睡魔で目が開けられていません。子供の試合とは言え、皆必至ですから誤審で迷惑をかける訳には行きません。目を擦りながら集中していると、足元からゴゴゴゴーッと地響きのような音が聞こえ、ええっこの下に地下鉄が走っているの?と一瞬思ったら「皆、伏せろ!」と大きな声が聞こえました。地震だったのです。福岡市内の警固断層で起きた直下型の地震でした。試合は中止になり、皆自宅に戻り被害の状況を確認するようにとのことでしたが、自宅に着いた頃には眠りについていました。

睡眠不足とストレスの2年間の中でも社内eラーニングの構築も担当していました。その当時はラーニング・マネジメント・システムがどんどん注目されていました。オープン・ソース系で評判の良かったMoodleを導入しようと思い、スタッフに説明するにもウェブサイトはすべて英語で、日本語書籍も2冊くらい出版されていましたが、実用的でなく英語で出版されていたMoodle e-Learning Course Developmentという本を購入して、必要な個所を少しずつ訳しながらスタッフが利用できるようにしていました。結果、一冊訳してしまいました。データを閲覧しながらより製本した方が扱い易いと思い、K大学大学院の喜多先生に相談して技術評論社から出版してもらうことになりました。

修士の論文も終えて大学院の研究が一区切りついた時には、これで週末ゆっくり寝れると嬉しくなったことを覚えています。W大学から続いた3年間は終わってみれば解放感が半端なかったです。

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