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ペルー、トルトゥーガ(カメの意味)という集落で見かけた少女

ぺルー北部ピウラ県を汎用エンジンの需要を探ろうと調査で訪れたことがあります。主な用途として想定していたのは、漁船の推進力、エビ養殖場の水ポンプの動力、その他建設関連作業機でした。時代は1991~92年頃です。

ピウラ県は太平洋に面して砂漠地帯が広がった雨が少なく乾燥して日差しが強く、埃っぽい場所です。海岸線に沿って街があるような場所は海岸線と並行するように防風林のような木が植えられています。海岸線が長いので漁業や釣りレジャーなどの観光地もありますが、いきなり太平洋でそれも南から北上するフンボルト海流が目に前を流れていることからそれなりに危険な海でもあります。

市場調査に当たっては当時の取引先インテルアメリカ社(ペルー屈指の財閥ロメロの会社)のテクニカル・サービス部長(Carlos Ceccovilli:通称チーチョ)と同行し、彼の運転するピックアップトラックで漁師町やエビ養殖場を訪問しました。海岸から少し内陸にあるピウラ市は、ロメログループ発祥の地、チーチョの出身地でもあることから移動中に彼は運転しながら如何にペルー文化の起源がピウラから出ているかについて、お国自慢を聞くことになりました。ペルー出身のノーベル文学賞受賞作家のマリオ・バルガス・リョサもピウラを舞台にした小説「緑の家」(原題:casa verde)を書いているように歴史ある街であることは確かです。

ピウラ市内から西に位置する太平洋へ向かって移動し、途中南に左折して計71kmほど荒野を車で走るとトルトゥーガという漁師町に到着します。ウミガメの産卵地からきた名前かも知れません。町といっても外に広がった住宅入れても数千人ほどの町で陸の孤島のように荒野から海に面した場所にできた集落でした。見ただけで極貧の集落であることが分かり、人種的にも明らかにピウラ市内の人とは違っているように思えました。学校、役所、病院といった公共施設のようなものは無く、ただ集落があるだけでした。一瞬、スペイン語が通じないかも知れないと思いました。当然、動力付きの船など無く、葦船で漁に出るような規模に見えました。つまり漁が自給自足の手段のようでした。陸の孤島で周りが荒野で畑など無いのだからそうだろうと思いました。それでは現金収入が無いことは分かります。早々にチーチョに「ここは無理そうだから他の場所へ行こう」と言うと彼も初めて訪れた為かその極貧さに驚いていました。

車に戻り立ち去ろうとした時、二、三人の兄妹かと思えるような小さな子供たちが周りにいました。その中の4〜5歳の少女、裸足で髪の毛がボサボサで生地の色が判別がつかないくらい黒ずんだ服を着てました。一瞬、目が点になり彼女を見ると手に生の鯵のような魚を持っていました、それも一口齧った跡が分かるような。おやつ代わりなのかどうか分かりませんが、生魚を食べていたのです。黙ってじっとこちらを見ている少女にショックを受けました。

このことを思い出して最近トルトゥーガをインターネット検索すると、海岸リゾートに変貌した様な写真が現れました。もう30年近くの時間が過ぎているのですから、その様な変貌を期待せずにはいられません。機会が有ればまた行ってみたいところです。

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