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日系人初のペルー共和国大統領になったアルベルト・フジモリ

日系二世のAlberto Kenya Fujimori Inomoto氏は、Cambio 90(変革90)という政党を立ち上げて1990年7月に大統領に当選しました。ラ・モリーナ国立農科大学の総長も務めた数学者から政治家へ転向しました。大統領選挙戦を最後まで争った相手は、ペルーを代表する作家のMario Vargas Llosaでした。彼は後にノーベル文学賞を2010年に受賞します。

1988年当時、既に政治活動を始めていたMario Vargas Llosaは1990年の大統領選へ出馬しようと思っていたと思います。そんなことも知らずにただただ有名な作家が住んでた街にやってくるということで私は討論会場へ行って本人を見ました。当然、話の内容は政治的で政策的なもの且つそれもスペイン語ですから分からなかったです。ただ、バリガス・リョサの横に座ってた人がインカコーラの瓶を彼に差し出す所作が当時当地の人々の習慣になってたやり方だったので一人でクスクス笑っていました。バルガス・リョサは作家を辞めて政治家になるとの噂が多く、もう文学界には戻れないだろうとか、良い作品を書くことは出来ないだろうとも言われてました。しかし、そんな事はなくフジモリ氏が当選した後、選挙戦の記憶や想いをエッセイで出版したり、新たな作品をどんどん発表し続けました。

数学者と作家がそれぞれ大統領選へ出てくるペルーという国は、政治家イコール、嘘吐き、汚職、賄賂、公金着服など負のイメージしか有りませんでした。当時の大統領は、Alan Garcíaというアプラ党の政治家でした。1985年に36歳の若さで当選し1990年7月にフジモリ氏へその座を渡しました。しかし、この任期中もテロやハイパーインフレなど何も対策できず国外逃亡するような人だったこと、懲りずに「同じ過ちは繰り返さない」をスローガンに2006年7月に再び大統領に当選しました。任期終了後にリマ市内の鉄道建設に係る多額の賄賂を工事を受注・施工したブラジル企業からの暴露で明らかになり、裁判で有罪が確定になると分かると自宅でピストル自殺をしました。根っからの汚職人間だったことが証明されてしまいました。

Alan García政権時のペルーは、極左テロ組織(毛沢東思想)センデロルミノッソによる自動車爆弾、高圧鉄塔の爆破、要人、外国人の殺害など治安の悪さは世界最悪で、年7000%とも言われたハイパーインフレに見舞われていました。夜間外出禁止令が敷かれ、朝、昼、夜と同じ日に同じ店で同じ商品を買ってもどんどん値上げするような状況でした。JICAの撤退も噂されていました。

このような背景で国民は、「この国を良くしてくれるのであればペルー人でなくても誰でも良い。我々はずっとペルー人に騙され続けてきた」との切なる願いがフジモリ氏を下支えしたのだと思います。一方、日系人社会はフジモリ支援を行いませんでした。理由は、政策が上手くいかなかったら国民の反発が日系人社会に向かうことを警戒していたからです。もちろん当選後はフジモリ氏が失敗しないよう日系人社会は全面的に支援しました。当選すると奥さんの家系から大臣を出すようフジモリ氏はプレッシャーを掛けられたようですが、それを全部断ったことから最終的に離婚をしました。

フジモリ氏の功績は何と言ってもハイパーインフレを鎮静化して、極左テロ組織センデロルミノッソの首領を逮捕し組織を壊滅しました。日本大使公邸人質事件もテロ組織メンバー全員射殺で解決しました。その間の南米での彼の存在感は大きかったです。どこの国に行っても新聞の一面記事になる人でした。エクアドルに駐在している時、一度フジモリ大統領がグアヤキルに来ました。少し早めに到着した彼はグアヤキル市内を流れる大きなグアヤキビル川の辺りを散歩していると少年が釣りをしてました。気軽に少年に声をかけて楽しそうに会話してました。最後に「私が誰か分かる?」と訊くと少年は「分からない」と答えました。すると「私はエクアドルではあまり知られてないんですね」と彼の後をぞろぞろと着いて回ってるメディアに言って笑いを誘ってました。昼食を突然飛び込んだレストランで食べようとすると格子越しに撮影してたメディアに「君たちも一緒に昼食を摂ろうよ、招待するよ」と声を掛けてました。フジモリ大統領は流石だと思いました。ペルーとエクアドルは長年不明確な国境線(ジャングル内)に関する領土問題を抱えてました。メディアに好意的に取り上げてもらう事を強かに考えていたと思います。

彼は2期大統領を務め憲法を変えて3期を可能にしました。その間の不正蓄財や人権問題(テロ対策中に市民を拷問したなど)で様々な問題に直面してAPECで東南アジア出張の帰路、日本に寄ってペルー大統領辞任を伝え日本政府の保護を受けました。その後、チリに渡って身柄を拘束されペルーへ引き渡されました。フジモリ氏の長女ケイコは、父親の冤罪を晴らすために政治家になり政党を立ち上げました。息子ケンジもそうです。ケイコはスキャンダルに巻き込まれて大統領は難しくなっているようです。また、ケンジとも袂を分ち政治的にも難しい立場のようです。

フジモリ大統領には、功罪あるようですが治安と経済安定があっての国の発展を考えると賄賂や不正蓄財くらいペルーの政治家なら大なり小なりやってる事にいつまでも時間と労力をかけるのではなく国の発展に集中すればとは思います。そうじゃないところがまたペルーなんですけど、。

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