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スペイン、バルセロナの思い出

バルセロナへは、マドリッド中心地のプエルタ・デ・ソル駅から夜行列車で移動しました。南米ペルーのリマから早朝マドリッドに到着してプエルタ・デ・ソル近辺のペンションを見つけてスーツケースを置いて、プラサ・レアルやパラシオ・レアルなどマドリッド中心地の徒歩で見学できるところを見て、プラサ・レアルに面したバールでシェリー酒を飲んだ後、食事に入ったレストランで日本人旅行者を見かけて声をかけてました。そのうちの一人がその日の夜行列車でバルセロナへ行くと言うので、朝マドリッドに着いたばかりだけど、同行することにしました。ペンションでバックパックへ旅行荷物を詰めて、夜プエルタ・デ・ソル駅で合流して列車へ乗り込みました。

バルセロナに到着したのは、1988年の年末近くでオリンピックの約4年前でした。当時はパリ〜ダカール・ラリーはバルセロナからアフリカへ船で移動してました。バルセロナ滞在中のある夕食をロス・カラコレスというカタツムリ料理で有名なレストランで摂りました。通りに面したこのレストランの入り口付近を含めて通りの両側にぎっしりと人だかりができてました。レストランの2階か3階でテーブルを確保して注文をする頃から外の爆音が開けっ放しの窓から聞こえだしました。パリ〜ダカール・ラリーの団体パレードがバルセロナ入りです。エンジン爆音と歓声でロス・カラコレスの周りは包まれました。しばらくすると、私のテーブル周りはレーシングスーツのままのドライバーとメカニックで一杯になりました。レースの合間の休憩地がバルセロナだったんでしょう。

バルセロナと言えば、サグラダ・ファミリア教会、グエル公園、カサ・ミラなど建築家アントニオ・ガウディの建築物、ピカソ美術館、ゴシック地区などなど観光資源は盛りだくさんです。その中ではサグラダ・ファミリア教会の両側に4本そびえ立つ塔の内部の螺旋階段を体が進めるところまで登ったこと、ピカソ美術館のR指定すべき展示物の多さは記憶に残りました。

同行の日本人とは、夕食後裏通りのボヘミアという小さなスペイン風ライブハウスへ行き、その日の演目があるのか?と入り口で聞くとあるというので中に入ると我々二人だけの観客、ステージ中央にはグランド・ピアノが1台だけあり、初老の男性が数曲弾くと私たちに「どこから来たのですか?」と声をかけてきたので「日本です」と答えると、「じゃあスキヤキ・ソングは知ってるよね?」「知ってますよ」「ステージで歌ってみませんか?」と誘われ私は同行の日本人に一緒にどうか?と誘うと固辞されたので私一人でステージに立ち、ピアノ伴奏で「上を向いて歩こう」歌いました。まだ物価もそこそこ安かった時代の思い出です。

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