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旧知のペルー人からメッセージが届く

昨夜、ある人からメッセージがFBメッセンジャーに届いていたことに気付いた。差出人の名前はHugo Jose Sanchez Riosと表示されていた。何処にでもありそうな男性の名前だけど、この響きは発話した記憶があるなと直感で思った。しかし、思い出せない。彼の最初のメッセージは「xxx san ohisashiburi ... Sánchez desu … boku no koto ga oboetemasu ka」だった。このメッセージからすると随分と以前に知り合った人だろうけど思い出せない。FBメッセンジャーアカウントに表示される彼のアイコンには奥さんと思われる人と仲良く頬を付けて顔を並べた正面からの写真が使われていた。

随分と前に会ったのなら顔付きも変わっているだろうからやっぱり分からない。名前がスペイン語だからメキシコ、エクアドル、ペルーと過去に居住して頃に親しくした人たちを思い出そうと試みた。そうすると名前の音の響きと発話した記憶から約35年前にJICA青年海外協力隊員で派遣されたペルー国イキトス市の職業訓練校の生徒ではないかと思いついた。私は、その学校の教師をしていたので、出席を取る点呼で生徒全員の名前を毎朝順番に呼んでいたことから発話の記憶が口の周りに残っている感覚に気付いたからだ。

彼のメッセージへの返信は、スペイン語で「多分、職業訓練校の生徒の中の一人じゃないですか?」と書いた。先方からの返信は直ぐは無かったから引き続き思い起こしていると、もしかして同僚の教師かも!と気付き慌てて次のメッセージを送った。「違う、教師だ!」。すると「旋盤コースで教えていたよ」と返信が表示された。

これで彼が誰だか分かった。痩せて色白、細身でいつもジーンズの尻ポケットにノギスをケースにも入れず突き刺すように差し込んでいた。髪の毛は天然パーマ、彫りの深い顔で奥目がギョロッとしていた。漫画週刊誌少年マガジンに連載された『あしたのジョー』に登場する力石徹の減量してやつれた顔に似ている奴だった。職業訓練校の旋盤コースの教師とは言っても当時はまだ現役の工学系の大学生だった。一度、大学の講義で理解が十分できてないと言って数学の課題を質問されて教えたことがある。それから何度か放課後に昼食を食べに街に出かけたことがあった。

彼はFBメッセンジャーに「今、日本に住んでいる」と書いてきた。「えっほんと!」「そーだよ!」立て続けにメッセージのやり取りが続いた。メッセージのやり取りで分かったことは、農業大学で漁法を学んでいた彼の奥さんが奨学金を得て日本に留学をした事を機に日本に住み出したとの事。日本で二人の娘が生まれて、大学まで全て日本で教育し、就職も果たした。今では管理職になったと。

どうやら随分と長く日本で生活していることになる。昨年末に故郷のイキトスへ里帰りした折、職業訓練校の元校長Ernesto Lozano Iglesias氏の自宅を訪れ、元校長の妻で職業訓練校で秘書をやっていたMirtaから、私がリマで生活を始めた事を聞かされたと書いてきた。「今何してるの?」「会社経営でもやってるの?」と尋ねてきた。「定年退職してリマで生活し始めたけど、まだ何もやってない。世間を騒がせてる全国で始まった政府への抗議デモが収まったら、北部の山岳地帯へ旅行に行きたい。チャチャポヤス辺りで将来農業をやりたいし、田舎の家で生活したい」と返事をした。「面白そうだね〜」と返信してきた。

私から彼にした質問は、日本での生活はどうか?将来ペルーへ戻ってくるのか?だった。彼は、今、東京の武蔵村山市に住んでて静かで快適な生活を送っている。日本は別世界で素晴らしい。随分と国内や海外旅行をした、日本に来なければ絶対に出来ないことばかり。日本人の勤勉さも自分には合っていて良い。ここではペルーのようにモノを盗まれることもない。規律正しい人ばかりだ。多分、ペルーには戻らずずっと日本で生活するだろうの返信だった。

そこまで日本の良い面に気付いたのならと、彼にペルーに戻って教師になってその規律良さを若いペルー人に教えてみる気はないのか?と訊くと即座に「impossible」と返信された。彼の冗談混じりの返事は、「国民のほとんどを殺してしまわない限りあの国は変わらない」となんともやるせないものだった。その後、メッセージ(チャット)の交換を少し続けて、お互いの健闘を祈りFBメッセンジャーを閉じた。

ペルーのアマゾン地域の街イキトスから日本へ移住した彼と家族にとっては、理想的な生活を送れる国だったようだ。彼は何度も日本に感謝していた。私に気遣ってそう言ったのかもしれない。こちらからは、今の生活があるのは幸運とあなたの努力でしょうと返信した。残念なのは彼や彼の家族のような人たちがペルーの発展の為に国へ戻って来ないことだ。元来大人しくて明るく働き者のペルー人だから、何処でも上手く生きて行けると思うが、彼らにとって母国は殊更生きて行くのが辛い国なんだと思う。昨今のセンデロ・ルミノッソ(農民の武装蜂起を主体とした毛沢東思想を持つ共産主義テロリスト集団)が蘇ったようなニュースを聞くと尚更だ。ペルーにやって来た変わり者の私は、それでも何か貢献できる事をやろうと思っている。

注記:写真は初等職業訓練校Padre Jesus Garciaがあるイキトス市のプンチャーナ地区の大通り、以前はほとんどの区間が未舗装だったが今では舗装されている。

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