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パナマ運河を見学する

パナマを出張で訪問した時、パナマ運河を見学することができました。当時、パナマのJICA事務所に勤務していたJOCV調整員の下藤さんの奥様Kiyomiと連絡を取って自宅を訪問しました。Kiyomiとは、彼女のリマの実家familia Inagaki宅に私がホームステイをしていたことが縁で親しくなり、旦那さんの下藤さんよりも連絡を取り合うようになりました。Kiyomiとは久しぶりの再会で昔話に花が咲いたところで、下藤さんが帰宅されパナマ運河を見たことがなければ連れて行ってくれるとのことで二人で外出しました。

運河に行く途中だと記憶していますが、下藤さんが高層住宅が立ち並ぶ広い区画近くの高台で車を止めて車から降りて眺めることにしました。見た目は新しく近代的な高層住宅のようだったので「パナマも発展していますね」と言うと「ここは最近建てられたんだよ」と下藤さんが答えました。「米軍のパナマ侵攻の時にノリエガ大統領がこの地区に逃げ込んだんだよ。そうしたら米軍がこの地区全体をその日の夜7時から爆撃するから住人はそれまでに立ち退くように拡声器でアナウンスされ、そして実行されて見渡す限りのこの地区を粉々に破壊したのよ」、「ひえ~凄いですね~」、「その後に突貫工事でこれらの高層住宅を建築して住人を戻したけれど上下水などに欠陥があって住人の評判は良くないんだよ」と教えてもらいました。

出張が先か1993年6月11日に放送されたNHKスペシャル「暴かれた真実 1989年米軍パナマ侵攻」を見たのが先かよく覚えていませんが、米国がカーター大統領時代にパナマと調印した運河の返還契約を覆す作戦だったことが暴かれた内容でした。パナマ侵攻は、麻薬取引に手を染めていた当時のノリエガ大統領を逮捕することが表向きの理由でした。しかし、米軍が侵攻しても1週間くらいノリエガ逮捕に時間をかけていたのはリアルタイムでニュースをチェックしていた身としては、何か腑に落ちないと思っていました。小さな国で米軍が展開して一人を逮捕するのにそれほど時間がかかるものなのかと思っていましたが、実はその間にパナマ軍の国内の拠点を全滅させていたのです。そして運河返還契約の但書きには「パナマ軍が自力で運河の安全を確保できない場合は契約は無効になる」とありました。これでパナマ運河は米国の主権が残ったのでした。しかし、その後1999年12月31日に米軍完全撤退しました。

訪問した時はパナマ運河地帯両岸は、米国の永久租借地だったことから本国と同じ交通ルールで標識も米国様式になっていました。道路も広く、周りの建物も米国風な感じで別の国に来たように感じました。当時は、通貨をバルボアと呼んでいましたが実際流通している紙幣は、米ドル札でした。それをバルボアと呼んでいました。有名な運河ですが、一度見学すれば十分かと思いました。

運河の訪問以外に、リマの松栄鮨とは姉妹店になるパナマ松栄鮨へ行きホルヘ・マツフジさんとお会いすることができました。ホルヘさんは、ペルーで大変お世話になったカルロス・マツフジさんの実弟に当たる方です。

短い訪問でしたが、運河周辺の米軍管理地区の風景、通貨は米ドル、昔から中南米は米国の裏庭と揶揄されてきたことをまざまざと思い起こしました。米国の圧倒的なパワーを感じたということです。しかし、その米国が今、大統領選挙を乗っ取られようとしてます。この騒ぎが解決された後の米国は凄まじいことをやると思います。彼らは黙ってはいません。

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