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フレッド・ジンネマン監督作品『真昼の決闘』を観る

原題”High Noon”(1952年製作)、初めて観たのは17歳の頃、英語教師のビデオ・ライブラリの中の一つの映画として学校の視聴覚教室を独り占めして観ました。当時は、勇敢な保安官が活躍する西部劇と単純に観ていたと思います。もちろん単純に楽しんでもまったく問題はありません。

物語(ネタバレです)は、街の保安官(ゲイリー・クーパー演じる)が以前刑務所送りをした悪党ボスが正午の列車でその街に仕返しに戻ってくるとの情報から始まります。駅には三名の兄弟分が出迎えに行き、四名で保安官に仕返しを企てていたのです。保安官は、その日は保安官の任務を終えると同時に結婚式を挙げその後、街を離れることになっていました。後任の保安官は、まだ決まっていませんでした。しかし、その悪党が戻ってくる話を知った保安官は、最後の仕事として街のみんなと悪党を退治しようと協力を仰ぎますが、皆怖がって隠れてしまいます。終いには、保安官が仕返しの相手だから、保安官がさっさと街を出ていけば良いとまで街の人に言われてしまいます。新婦(グレイス・ケリー演じる)も宗教上の理由から暴力を否定して早く街を離れることを進言します。一旦は、馬車で街を離れる保安官と新婦。しかし、保安官は途中で思い直して新婦を置いて一人で街に戻ります。

戻った街は真昼なのに外を出歩いているものは誰もなく、家の中から外を覗く住人ばかり。保安官は、心ある住人とこの街を守るため、一緒に悪党と戦おうと説得を試みますが、住人からは街に保安官が戻ってきたことが事態を悪化させると反対に批判されてしまいます。保安官は、誰も一緒に戦ってくれる住人がいないことを悟り、孤独感や不安を抱きながらも一人で戦うことを決意します。保安官一人と悪党四人の真昼の決闘が始まります。

決闘シーンは、緊張感が漂い保安官は一人倒しては、また一人と銃声と共に悪党が倒されていきます。新婦は列車で街を離れる寸前に列車を降りて街へ舞い戻ります。保安官を背後から狙おうとしてた悪党が街に戻ってきた新婦によって銃で撃ち倒されます。危機一髪のところを助けられたと振り返って新婦が銃を構えている姿を見た保安官が驚きます。新婦だけが一緒に戦った人でした。最後の悪党を倒すと、街の人々が一斉に外にでてきます。皆、安堵の顔で保安官を称えますが、保安官は皆を一瞥すると保安官バッジを外して地面に落とし、新婦と一緒に街をでていき、終わります。

この映画のポイントは、保安官がなぜ街に戻ってきたか?だと思います。戻ってこなければ保安官は無事に別の場所で暮らすことができます。しかし、きっと街は悪党に牛耳られて以前のようになってしまうでしょう。もしかしたら悪党は保安官を追いかけてくるかも知れません。多分、保安官は自身の人生で敵前逃亡や卑怯なことをやったことが無く、新婚だからといって自身の信念を曲げて新たな生活をすることができない性分だったのではと思わせます。例え命を落とすようなことがあっても自身の信念とこれまでの人生、自分の生き方を否定することはできないと考えたと思います。

フレッド・ジンネマン監督(Fred Zinnemann, 1907年4月29日 - 1997年3月14日)は、このような信念を押し通す人物を描きたかったのだと思います。古き良き米国映画です。

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