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キト空港で飛行機の墜落事故から

キトのマリスカル・スークレ国際空港でエールフランス422便(実機はルフトハンザ機)墜落事故(1998年4月20日)が起きた時、その日は日曜日、たまたま午前中から同僚宅で彼が分解して組み立てられなくなったH社のオートバイVF750Fエンジンの組立てを手伝っていました。

エンジンの組立て作業は、同僚宅の車庫でラジオ放送で音楽やニュースを聴きながら行ってました。同僚宅は、南北に長く伸びるすり鉢状の地形の底の部分に位置するキト市から見ると東側の山の斜面に位置して眼下に市を見下ろすような位置にありました。

ラジオから飛行機墜落のニュースが流れました。たった今発生したと、。同僚と一瞬顔を見合わせて「今、キト空港で飛行機墜落って言ったよね?」「そうだよね」「じゃあここから見えるよ」と二人で車庫から出てちょっとした高台に立って空港方面を眺めました。遠くに黒煙が高く空に伸びているのが見えました。「あれだよ!」と指差して確かめました。当時は事務所では安全担当をしていたので国内便だともっと緊張が走ったと思いますが、国際便だったのでどこか心の中で関係無いと思っていました。

その日の夜中、枕元の電話が鳴り受話器を取ると「JICA本部です。本日キト空港で飛行機墜落事故が起きましたよね?」「はい、そうです」「エクアドル国内のJICA関係者は搭乗して無いですよね?」「無いと思います。便は国際線ですから、ただキトからグアヤキルまでは国内線になりますが、わざわざその間だけ搭乗することは無いと思います。」と答えました。すると「すみませんが全員の安否確認をお願いできますか?」「承知しました」。翌日は50名近くいる協力隊員と専門家全員の安否確認を事務所スタッフと手分けして行いました。2名を残して全員の安否確認ができました。しかし、その2名は旅行届も出さずに任地を離れていて連絡がとれませでした。一旦、途中報告として本部へ連絡をしました。その日の夜中にまた電話があり2名の安否確認に進展が無いか確認してきました。

次の日にはその2名の居場所も分かり全員の安否確認が出来ました。本部としては分かり易いメッセージとして「全員無事」を発表したかったと思います。日本から見ればエクアドルで起きた事件や事故は場所や位置関係などは分る訳もなく、親族は心配して本部に問い合わせてくるので一刻も早く「全員無事」を発表する必要があったと思います。

身近で起きた事件や事故、災害は自身の安全は自ら発信する重要さに気付かされた一件になりました。

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