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尊敬する生涯の友との出会い

クラリネット演奏家の橋本光博さん、私は親しみを込めて「橋本先生」と呼んでいます。彼との出会いは1986年9月でした。カラヤン率いるベルリンフィルに留学した後、既にプロの演奏家、音楽指導者としてキャリアを積んでいた彼と偶然、青年海外協力隊の同じ隊次でペルー国へ派遣されることになりました。彼はリマの国立音楽院、国立オーケストラで指導と演奏を行い、私はアマゾンの街イキトスの初等職業訓練学校で活動をしていました。

橋本先生は、上記の勤務以外にも他の音楽家と度々演奏会を行っていました。私は、半年に1度健康診断のためリマへ上京すると必ずと言ってほど、彼の演奏会のスケジュールを確認して聴きにでかけてました。最初から波長が合ったのか、年齢的には随分と年上の方ですが、物腰の柔らかさと細やかな気遣いにいつも癒されていました。

他の若い隊員に交じって宴会で酔いが進むと、口の悪い人から「先生、何か演奏してよ!」と言われる始末。それでも嫌な顔せずに「じゃあ少しだけ」と言っていきなりフォークダンス曲マイムマイム(イスラエル民謡)なんかを綺麗に演奏するもんだから、皆踊るどころか聴き入ってしまいました。リマでは、映画や演奏会、ミュージカルなどいつも一緒に行かせてもらいました。

帰国間近の時に、私が下手の横好きでペルーまで持参していたコルネットを橋本先生から「国立オーケストラのトランペット奏者のマエストロへ譲って欲しい」と頼まれました。「〇〇さんは帰国してまた新しい楽器を購入すればいいけど、ペルーでは良い楽器を入手することが難しいから」と、、。私は「まったく喜んで提供しますよ」と言うと「相手はマエストロだから無償であげるにはちょっと失礼かもしれないから100米ドルで譲ってはどうですか?」と、そもそも無償でもいいと思ってたので全く問題ありませんでした。

オーケストラの演奏会の後、私はコルネットを持参してステージに上がりマエストロへ譲りたいと橋本先生との話の通り申し出ました。マエストロは、楽器を取ってサッと吹き始めて、楽器の各部を確認して「お幾らですか?」と訊いてきてので「100米ドルでどうでしょう?」と答えると、ちょっと考えて「60米ドルにしてくれない?」、「......」「ええっ、もちろんいいですよ」と動揺しながら答えました。まさか値切られるとは思ってもみなかったのです。後で橋本先生と大いに笑ってしまいました。流石ペルー人だね~。

橋本先生は2年間の活動の後、国際交流基金で再度国立音楽院で活動をされました。活動していた期間、毎年同校で実施される学生と教師が選ぶ最優秀教授賞に毎年選ばれました。誰もが認める素晴らしい教師ということです。納得です。

帰国された後も私が東京に立ち寄ると友人のギター演奏家、佐藤紀雄さんを紹介してもらったりしました。佐藤さんとお会いした時は、ちょうど現代ギター誌に佐藤さんがサイトウ記念オーケストラで小澤征爾指揮で演奏会をされた記事が載った後だったので、ご本人が「ギターを弾いています佐藤です」と言われたとき「存じ上げてます。現代ギターの先月号に小澤征爾さんと演奏会された記事を読みました」と答えました。すると橋本先生が「へえ~紀雄、小沢さんと仕事したの?」、「そう、久しぶりにね」となんともプロの会話をされてました。

結婚式に招待されたときは、式の前日に新居に泊めていただき参列しました。演奏会が無いときは庭師として収入を得ていたと聞きました。法隆寺の最後の棟梁と言われた西岡常一氏が宮大工の仕事が無いととき、畑仕事をしていたことに似ていると思いました。西岡棟梁は、宮大工は民家を建ててはいけないと言ってました。

たまにガラケーから送られてくるメールを楽しく読ませてもらっています。生き方の見本にさせてもらっています。

https://www.youtube.com/watch?v=BUC8McTRllk

https://www.youtube.com/watch?v=t9aNY5Lcf4s

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