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HCJB アンデスの声、尾崎夫妻との接点

短波ラジオや無線通信を趣味にしている方ならご存知かもしれませんが、エクアドルのキトには、la voz de los andes (アンデスの声)という大きなラジオ局があります。世界中にさまざまな言語で短波放送を流しています。その日本語部は尾崎一夫先生が担当されていました。私は、日本でたまに聴いてました。15分から30分くらいの短い番組でしたが、南米へ移住した日系人との交流を通じた話と聖書の一節を朗読する放送をしてました。

どういう経緯でお会いするようになったか忘れてしまいましたが、多分JOCVエクアドル調整員事務所の同僚2名にいつも悩まされていた事から誰かに勧められたことを幸にコンタクトしたのかも知れません。夕方自宅へ来るようにと言われ、HCJBが集まった区画にあるアパートメントを訪問しました。

事務所で契約してた顧問医は、el hospital voz andes(アンデスの声病院)で勤務してましたが、この病院の隣はHCJB放送局、その向こうが尾崎先生のアパートメントとなって、その地区は比較的外国人も多いところでした。

初対面にも拘らず、ご夫妻で受け入れてもらい夕食までご馳走になりました。それからは訪問すると次は誰々さんが来るから〇〇さんも是非来てくださいと長く間が開かないような感じで度々訪問するようになりました。いつもお邪魔すると2〜3時間くらい色々な話をしました。ラジオ局の組織の母体はキリスト教プロテスタント(南米ではエバンヘリスタと呼ばれてます)教会で布教を目的にHCJB 「Hoy Cristo Jesús Bendice」を設置したようです。何度も夕食をご馳走して貰いながら勧誘らしき言葉は一度も聞いた事は無く、ただただ相談に乗るという姿勢にはいつも感謝していました。

JICAとの契約が終わる時、“アンデスの声”に出演しました。また、因縁付きの日本から中古で輸入した車を処分できなくて一旦帰国してる間、尾崎先生のアパートメントの車庫で保管して貰いました。日本に帰国して諸々の手続きをしてキトに車の処分の為に舞い戻った時も自宅に泊めて頂きました。Wikipediaによるとエクアドルからの日本語放送は2000年12月末に終了し、奥様の久子さまは2006年に亡くなられたと書かれています。エクアドルから帰国したのが1999年10月で、キトに舞い戻ったのが11月頃ですから、それから1年くらいで終わったようです。

海外では思わぬところで思わぬ人に会うことがあります。尾崎夫妻との接点も深く記憶に残っています。

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