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1987-88年頃のペルー国内の長距離バスの旅

今も昔も国内旅行の移動手段は飛行機と長距離バスです。一部列車が走っているところもありますが、殆どが飛行機かバスの旅になります。飛行機での移動は飛行場があるような比較的大きな街への移動ですが、長距離バスは全国に網に目のようにルートが張り巡らされて、バスターミナルもどの街でも分かり易い場所にあります。

リマからの移動となれば海岸線の南北を走るルートとアンデスの山岳地帯にある街とを結ぶルートになります。比較的交通量が少なく、6〜9時間くらいの移動時間だと客は夜間の便を好みます。寝てる間に目的地に着き、大体早朝に到着するため移動のために1日潰すこともないからです。

当時は、今のようなリムジンバスは無く、普通の団体用の観光バスで荷物は車体の下から座席上の網棚に置くのですが、寝てる間に物色されて盗難に遭うことも多かったことから旅行者はほとんど膝の上にバッグを抱えて寝ていました。治安も良くなかったです。バスの運転手は、自身のポケットマネーを稼ぐためにターミナルを出発したら次のターミナル或いは目的地まで客を乗せてはならないのに、どんどん旅行者を乗せます。もちろん座席など無いので通路は途中で乗り込んできた旅行者で一杯になります。その中に窃盗団や強盗団が紛れていると犯罪に巻き込まれてしまう危険が多かったです。

そして、最も怖かったのは山岳地帯への移動です。一度、リマからワラスへ旅行に行きました。夜間バスを利用して行ったのですが山岳地帯に入ると蛇行する道が続き、たまに幾つかの集落を通り過ぎて行きます。山岳地帯は当時極左ゲリラのセンデロ・ルミノッソの影響下或いは支配下に置かれているところが多々ありました。当然、それが何処かは分かりません。少し前は大丈夫でも今はもうテロリストに支配されているかも知れません。バスで旅行をするのは金持ちや外国人ということで襲撃のターゲットにされる可能性もありました。乗ったバスは、集落が近付きそうになるとヘッドライトを消して月あかりで運転をしていました。聞けば、バスが移動してることを遠くから知られないようにライトを消して運転しているとのことでした。そんな状況だから集落で停車したりするとテロリストが乗り込んで来るのではないかとドキドキしてました。

それとは別に断崖の縁を通って行くような道路も怖かったですね。バスの滑落事故は結構耳にしました。今は道路事情もバスの車輌自体も随分と改善されていると思います。そして何よりテロ組織が撲滅されたことは大きいです。アヤクーチョ県は、当時は外国人が訪問することが禁止されていたと思います。今だったら行けますね。

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