見出し画像

商売上手なコロンビア人-ジョニー・ロンドーニョ

中南米市場を担当テリトリーとしていた頃、まだ殆どの国には現地法人設立の前、各国の代理店との取引で色々な会社の人たちと接点を持ちました。その中でピカイチのビジネスマンはコロンビア人でした。それもメデジンの代理店でした。

メデジンには取り扱い製品で分けられた2社の代理店があり、1社(Incolmotos)はオートバイもう1社(Eduardoño)が船外機と汎用エンジンなどを取り扱っていました。私は後者と取引で接点を持ちました。中南米は陽気なラテンの人々ですから楽しく朗らかな雰囲気で、多少のんびりした所があります。その中でもコロンビア人は配慮が行き届いて真面目な感じがします。そしてプロ意識も高いと言います。

コロンビア人から聞いた冗談で、「コロンビア製品の品質は世界的に良く知られていますよ!コカインがどれだけ出回っているか見れば分かるでしょ?」とか「確かにコロンビアはコカインの生産者だが消費者ではありません。需要があるから作るのです」とあっけらかんと言います。組織立った仕事のやり方もラテンアメリカの中では抜きん出てると思います。麻薬組織でもメデジン・カルテル、カリ・カルテルなど犯罪組織の結束も良く知られています。でも、本当は世界一のコーヒー豆がそれを物語ってます。ちなみにコロンビアではコーヒーはティント(ブラック)で飲むのが一般的で、入れてもミルクくらいです。砂糖は全く入れません。

仕事で取引してたメデジンのエドゥアルドーニョ社は、特に商売上手な代理店でした。良く比較されたのが同じくメデジンにあるインコルモトス社です。インコルモトス社は、日本から提供された色々な販促ツールを社内や販売店へと配布して有効活用してました。オートバイのアッセンブリ工場も全て日本人が指導した通りにやってました。日本から出張者が来ると如何に忠実に言われた通りやってるかを説明し出張者を大いに喜ばせていました。その為、日本の本社での代理店としての評価も高かったです。

一方のエドゥアルドーニョ社は、販促ツールは一切日本に要求する事なく、日本で作られた販促ツールよりもっと良いものを自社の広報・宣伝室で作って販売店へ配布してました。彼らは全てのノウハウをY社から学び自分達流により市場に合うようにアレンジして制作してました。当時、本来社長になる予定のなかった創業家の3世代目の三男坊だったジョニー・ロンドーニョは、浜松までFRPボート製造を学ぶため工場で数ヶ月働いた経験がありました。日本人に来てもらって教えてもらうでは無く、自ら工場で働いて全てを吸収する姿勢でした。

その為かジョニーは日本人からも好かれ、当然エドゥアルドーニョ社の社員からも好かれてました。社長が1番ものづくりに詳しいし三男坊の人を疑らないボンボン具合が皆に好かれていました。経理部長は彼の姉さん、広報・宣伝室長は妹さんでした。実は上に二人の兄がいて長男Camilo、次男Eduardo、二人とも前々社長、前社長でした。父親と反りが合わず会社を辞めたそうです。当時、同僚に聞いた話によるとCamiloが1番の切れ者で彼が会社を大きくしたと言ってました。今は、H社の代理店で三男坊のジョニーとビジネスで競い合ってました。次男のEduardoは、マーキュリー社の代理店でコロンビアのプレジャー船舶協会の会長をやってました。ジョニーは、全く頭の上がらない兄二人と船外機や汎用エンジン市場で競争してたのです。

子供の頃から何度も身代金誘拐を経験し、犯罪にも上手く対応でき商売も上手い、そして人に好かれるジョニーを見てるとコロンビア人の良さが分かります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?