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タガログ語を学ばないと決めた理由

長く当地に住んでいると地元の人たちから「タガログ語を話せるんじゃないの?」とよく訊かれます。もちろん学ぶ気は無くとも耳に残るフレーズから意味するところと音の響きがセットになって記憶されている表現もあります。しかし、やはりタガログ語に限らずチャバカーノと言われるミンダナオ島で話される言葉も学ぶには問題があると個人的に思っています。

初めてダバオを訪れた時、車で移動中にカーラジオから聞こえてきました“a las cinco de la tarde you are listening the radio Mindanao” 。思わず「なんだこれ?」と。完全にスペイン語と英語が混ざって表現されていました。同行している地元の人たちの会話も買い物する時に”cuánto cuesta?”と値段を尋ねて、その返事の金額は例えば50ペソだと”cincuenta peso”といった具合に話されてました。なんだスペイン語でいいじゃんと思いスペイン語で話しかけると相手はキョトンとして答えません。どうやらスペイン語だけではダメで英語と混ぜなければならないようでした。時間表現、金銭の表現はスペイン語で良いようですが、その他が分かりません。でも”sigue derecho”とか聞こえるとまっすぐ行けば良いの?と内容が分かったりします。

割合をうまく理解すればとも思いましたが、決定的だったのはスペル違いです。例えば、教育はタガログ語では、”edukasyon”と綴ります。スペイン語は“educación ”です。ラジオは、”radsyo“、スペイン語では”radio“です。元気ですか?は、“kumusta ka?”で、スペイン語では”cómo esta?”ですからやはり綴りの違いは大きいと思いました。

当地は長くスペイン統治がされていて言語も土着して変化してきているためほとんどタガログ語化しているのは当然ですが、綴りの現地化は身に付いたスペイン語の知識に混乱を来すと思い、タガログ語を学ばないと決めました。発話でvaso, mesa, silla, cubiertos, platos, botellaなどスペイン語起源のタガログ語の語彙は理解できても綴りは違うだろうなと思いますが、調べもしていません。

本来タガログ語を使って会話する方が良いに決まってますが、これだけ英語の達者な地元の人たちの中ではスペイン語の知識を混乱させてまで学習する意義は無いなと思ったのが理由です。

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