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黒澤明 監督作品『生きる』を観る

1952年(昭和27年)公開の日本映画。主演は、志村喬(市民課長 渡邊勘治役)、小田切みき(市民課職員 小田切とよ役)、伊藤雄之助(小説家役)、藤原鎌足(市民課 係長役)。挿入歌の『ゴンドラの歌』が有名です。2時間23分もの映画で、このストーリー展開だと今ではDVDかネットで観るくらいしか出来無さそう。

物語(ネタバレです)は、市役所の30年無欠勤を目前にした市民課長 渡邊が末期の胃癌に罹って余命わずかであることを自覚するところから始まります。映画では病院の待合室で別の患者から、胃癌は「普通医者から『軽い胃潰瘍で手術の必要はない、非消化のものでなければ好きなものを食べてもよい』と言われたら末期症状で長くて1年、もっと短いかも」と聞かされる。渡邊はその後、医者から全く同じことを言われ、反論するように「胃癌ならそう言ってください!」というも医者が否定をするシーンがある。看護婦も一瞬カルテの記述が止まるも、患者が帰った後、医者と助手との会話でその医者は「せいぜい半年だな」と言う。当時の死刑宣言にも近い胃癌の深刻さが表現されています。

自宅に戻った渡邊は最愛の一人息子とその妻と同居している木造2階建の自宅で真っ暗な部屋で一人、息子が小さなときに妻を亡くしたこと、再婚をせずに息子を父親一人で育ててきたことを回想します。蓄えの一部、当時としては大金5万円を持ち居酒屋で偶然知り合った売れない小説家と懇意になり、胃癌であること打ち明け、作家は人生は楽しむためだと渡邊が飲み代と差し出した大金でパチンコやキャバレーなど夜通し遊興して回ります。役所は無断欠勤が続き職場の部下が様子を伺いに課長の自宅を訪れる始末。お手伝いからは毎日いつものように出勤していると聞かされる市役所職員。

ある朝、遊興から自宅に帰る途中に部下の小田切職員から声を掛けられる。彼女は役所を5日も無断欠勤して噂になってると告げ、退職届を出したいが課長の押印が必要でずっと出勤を待ってたことから今印鑑を持っているかと訊かれます。課長は自宅に彼女を招き退職届に押印をします。課長は、退職の理由を訊くと彼女は退屈で無駄な時間を過ごしていること、それでも1年半も我慢したと告げられる。小田切は部屋の30年勤続表彰を見上げ感心する。自宅では2階に居住する息子夫妻とお手伝いからは怪しまれるも、課長は小田切職員の靴下にいくつも大きな穴が開いてること見て、2人で外出して夫人ものの靴下をプレゼントし、パチンコ、喫茶店、映画、最後は料亭ですき焼きをご馳走もする。そこで課長は彼女から付けられたあだ名ミイラを持ち出して、何故ミイラになったか、倅のためだと言う。だが倅はそんなことはお構い無しと言うと彼女は「息子さんがミイラになってくれって頼んだわけじゃないし、それを息子さんの責任にするのは無理よ。親ってどこの親も似てんのね。私の親も今言ったことと同じ理屈を言うのよ。お前が生まれたから苦労すると言うけど、産んでもらったのはありがたいけど生まれたのは赤ん坊の責任じゃ無いわよ」と反論され渡邊はハッとする。

渡邊は自宅で食事の後、息子に病気のことを打ち明けようとするも息子に若い女性との老いらくの恋を咎められ、財産分与の権利を主張されて黙り込んでしまう。職場へは既に2週間も出勤せず悪いうさわで持ちきりとなっていました。渡邊は元部下の転職先の町工場を訪れて彼女を食事に誘うも、彼女からは警戒されてもう食事は行かないと言われてしまいます。一人でとぼとぼ帰る渡邊の姿を見て彼女は今夜で最後と食事に行くことを告げます。食事の時に渡邊は自身が胃癌でもう直ぐ死ぬことを告げます。ひとりぼっちの気分を和らげるために彼女に声をかけていたことを告白しますが、彼女は何故息子に言わないのか?との問いに私には息子はおらんと言い、彼女の若くて活発な姿を見てると羨ましくてどうしてそんなに活気があるのか?自分は何かをやりたいがそれが何かが分からない、死ぬまでに彼女のような活気を経験したいそれでなければ死に切れないと言い、彼女はそれを知っているかもと縋るように問い詰めます。おどおどしながら彼女は「働いて、食べて、それだけよ!」と答えると「えっ、それだけか?」。彼女はバッグからゼンマイ仕掛けのウサギのおもちゃを取り出してテーブルの上で跳ねさせて見せる「私はこんなおもちゃを作ってるだけよ。こんなものでも作ってると楽しいのよ、なんだか日本中の赤ん坊と仲良しになったような気がするの」「ねえ、課長さんも何か作ってみたら?」「役所で何を、、」と考え込む。「そうね、あそこじゃ無理ね。どこか転職して」「いやもう遅すぎる」「いやあそこでもやれば何かできる、やる気になりさえすれば」と渡邊は突然おもちゃのウサギを握りしめて店を出て行きます。

翌日から職場に出勤し出した渡邊は机の上に山積みされた決済待ち陳情書類に目を通し始めると、出勤した部下たちは一様に驚き、挨拶すると渡邊は土木課へ回すと書かれたメモを破り取りいくつかの課にまたがる事案は市民課が音頭を取らねばと現地調査に行くため直ぐに車を手配するように指示すると、課長それはちょっと無理ではとの係長の言葉を遮り自ら率先して現場へ向かいます。場面は、5ヶ月後の渡邊の通夜になります。新聞記者が押し寄せて参列していた助役を呼び出して、例の公園は公園課と助役の功績になっているようだけれど近隣住民は皆さん影の功労者は市民課の渡邊課長だと言っていること告げ、彼が公園で亡くなったことはそのことへの抗議の為の自殺ではないかと噂されていると問い詰められます。助役は彼の死因はハッキリしている自殺でも無ければ昨夜の雪による凍死でもない、胃癌による出血死なんだよと反論します。助役は自席に戻り通夜の席でなんだがと前置きして「公園建設の功労者が市民の陳情を受け付ける市民課の渡邊課長などとは全く役所の機構を知らない新聞紙記者たちだ」と言い、あれだけの突貫工事をやって世間を騒がせたのだからこちらも落ち度が無かったとは言い難い、誰か功労者を言えばよかった。功労者と言えば公園課長もしくはその上司の土木部長でしょうと言う助役に対して土木部長は「あれだけの絡みあった調整を行った最大の功労者は助役である」と言うと、助役は満足そうに「そんなこと言われると私がやった祝辞も選挙演説と言われてしまうよ」と返します。

そこへ公園の建設場所の街の住民が焼香させて欲しいと通夜へ押しかけてきます。市の助役以下幹部が立ち去ると市民課職員と公園課職員は居残り何故公園が異例の速さで完成したのかについて回想を始めます。そこで一人が渡邊が5ヶ月前から人が変わったように働き出したことに言及すると、胃癌を知っていたのではないか?と誰かが答え息子に確認すると「知らなかったと思います。知ってれば私に言ってた筈です」と答え一同が納得する。それから渡邊の土木課、公園課、下水課、総務課など役所内の縄張り争いのがんじがらめの部門間の合意を得るための粘り強い姿が通夜に残った人たちから語られ始めます。渡邊は住民を引き連れて助役へ直談判するも見送れとの助役の意思に反して食い下がった事も語られ、一人が「渡邊さんの熱意が通じて助役も考え直した」と言うと「あれは市会議員に助役が突かれたからだよ。世の中全てが熱意でどうにか成るなんてセンチメンタル過ぎるよ」と言い返され「もし渡邊さんの熱意が通じないなら世の中闇ですよ」「闇だよ」と返されます。公園の場所はヤクザの利権に関わることから助役と懇意にしていたヤクザからも脅されるも渡邊の寡黙な形相にヤクザも怯む。

係長の大野が「渡邊課長は胃癌であることを知っていた筈だ」と言い出します。それは2週間も総務課へ通い詰めたある日、大野が渡邊に向かって総務課に腹が立たないのか?と尋ねると「わしは人に腹を立ててる暇はない」と言われたことを披露します。通夜の酒が皆に回ってきて泥酔状態で役所の環境がなにもやってはいけないようにさせることや皆志を持ってきても直ぐにその環境に染まっていく、皆で渡邊の意思を継ごうと掛け声を上げたところに渡邊の帽子を昨夜拾った巡査が焼香に訪れ、自身がもっと適切な対応していればと謝罪をする。しかし、雪の中、渡邊はブランコで揺れながら楽しそうに歌を歌っていたと話します。息子は部屋を出て妻に昨日夕方、父親が貯金通帳、印鑑、退職金受領申請書一式を封筒に入れて置いて行ったことを告げます。そして父親は死を悟っていたと涙を流す。そこへ叔父がやってきて通夜に渡邊の恋人が来なかったじゃないか?本当に居たのか?と正します。

翌日、市民課は係長の大野が課長になり市民からの苦情や陳情をいつものように受け付けては、課長は以前と同じたらい回しの判断をします。それに怒った部下1名が立ち上がるも皆黙って彼を見つめ、彼は何事もなかったように着席します。いつもの市民課に戻っています。彼は帰宅途中で渡邊が作った公園で遊ぶ子供達を眺め、母親に遊んでいる子供たちが「ご飯だよ」と呼ばれているシーンで終わる。

要所要所で流れる渡邊の歌『ゴンドラの歌』
♪いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の ないものを♪

最初に観たのは17歳の頃、多分居眠りして所々しか記憶になかったのですが見直すとやはり黒澤映画でした。三船敏郎主演の黒澤の侍映画を観てしまうと地味な作品ですが、戦後7年でこのような映画を撮ったことは凄いと思います。生きる意味を若い活気のある女性に諭されるのも黒澤映画らしいと思います。

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