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恋愛まんがのあるあるモノローグ「わたしは欠陥人間である」

期末試験が終わって夏休み何日目かになりました。わたしは受験生なのに、ずっと少女漫画を読んでいます。

恋愛漫画の主人公、あるいはそのお相手の男の人は、だいたい本当の恋を知らない。
わたしがここ数日の間に読んだまんが10作品のうち半分くらいは、1話か2話のモノローグで、「友だちは愛だ恋だというけれど、私にはまだわからない。私はきっと、どこかおかしい」てきなことを言ってました。

わたしはドキドキしながら少女漫画を読むんだけれど、こういう、もしかして私って…(T . T)みたいなところだけは正気にかえる。
だってわたしのほうが絶対おかしいから。

わたしは中学から女子校にきて、それ以来異性と全く話してない。満員電車以外で最後に同年代の男の人と同じ空間にいたのは英検を外部会場で受けた時かな…

幼稚園時代はモテていたらしい。異性(4才)からほっぺたにちゅーされてたらしいし、結婚も誓い合っていたそうだ!わたしの全盛期です。

小学一年生の後期、突然教室が恋で満ちた時期があった。女の子はみんな、クラスの足が速いイケメンの飯田くんか長野くんを好きになってた。世間話が急に「飯田か長野どっちが好き?」「1位は長野で2位は埼玉、3位が飯田でー、…」になった。でも当時のわたしはそもそも人の顔を意識したことがなくて、個体識別のため、のっぺらぼうに名前が書かれたもの、みたいなゆるさで人の顔面と向き合っていたから、もちろんそのどちらの顔も思い出せないし好きじゃなかった。好きな人いるの?って聞かれたら、習い事のプールに好きな人いる、みたいな適当な嘘で乗り切ってた。
それに小学生のときのわたしはなんちゃってハードボイルドで、フン、恋に浮かされるなんてアタシは遠慮するぜ……みたいな考えをしていたので、うかつに男子にときめいてしまっても、それに流されない女児であった。

わたしの男性遍歴はここでおわり。びっくり。かなりかなり少ないと思います。というか、無。仙人のつぎに枯れてる。でも別にこれはいいんです。このくらいならまだ女子校だからで言い訳できるだろうから。



わたしの真骨頂(?)はここから。
ちょっと前くらいに流行った蛙化現象って言葉。なんか本当の意味はあーだこーだみたいなこと言われていましたけど、多分「好きな人に好意を寄せられたら冷める、嫌いになる」みたいな意味。
わたし、これを友達にたいして感じた。
以下長い回想

高1のはじめ、他クラスだけどなんとなく話してた子と同じクラスになった。嬉しかった。他に友達がいなかったのもあるし、ちょっと憧れてた人だったから。
放課後、別のクラスになった友達に一緒に帰ろうって誘いにいく前に、同じクラスになったその人から帰ろうと言われたので、その人と帰った。その人は他クラスにわたしより仲のいい人がいると思ってたからちょっと意外でした。
次の日もその次の日もその人と帰った。誘われたし断る理由もなかったので。
ある日、その人に帰ろうって言われたので帰りの支度をして待っていたら、やっぱり今日帰れないと断られた。その人は他の人に帰ろうって言われて、先約のわたしは選ばれなかったみたいで。でも正直ホッとしました。わたしはつまらないし気もきかないし、あと連れションとかいやなので、だれかの1番にはふさわしくない。わたしより仲良い人がいる人と、仲良いランキング3番目くらいのポジションで仲良くしてたい。
でもその人は、大抵わたしと帰りました。わたしは正直別の友達と帰りたかったけど、断ると「あー…」みたいなことを言ったから、自分が招いた事態なのだけど断るのはちょっと心苦しかった。

梅雨に入るころには、その人から帰ろうっていわれてないのに、その人が放課後鞄を持ってわたしの席にいることが増えた。私の意思が初めからないみたいでいやだった。ほぼ断れない儀式的なお誘いも、わたしの意思を気にする素振りにはなっていて、それがなくなっただけですごくげんなりしました。
よく一緒に帰る人って、現状かなり仲良い人か、家が近くてそこそこ仲良い人だと思う。その相手に勝手に組み込まれていた。こういうことって別によくある。普通のひとはこんなことに目くじら立てないと思う。それに、その人とわたしは二人で帰っていて、その人がだいたい毎日わたしと一緒に帰ることを暗黙のうちに決めたのなら、あとはそれに気がついたわたしがまた暗黙のうちにそれに合意すればいいだけのことだった。

わたしはもともと人への好意?情?がある方だと思ってた。自分で言うけど約束破らないし、悪口聞いても人のこと嫌いにならないし、知らない人もうっすら好きだし。
わたしの友達に向ける好意はたぶん友達のそれより大きくて、「あの子はわたしの一番だけど、わたしはあの子の一番じゃない」みたいなきもちをいろんな人に持ってました。それで良いとは思いつつ、やっぱり好かれたいなーとかも。とにかくくれた分だけの好意は返せると自負してました。

でもだめだった。夏休みが明けたころには、その人から会話のノリで「わたしたち友達だよねー?」って言われるのが嫌になった。わたしがその人といることを強いる、ような言動をするくせに、わたしがもともと話してた人とわたし以上に話すようになっていて、いらいらした。
なにが決定的に嫌だったかわからない。こんなに人を拒否したこともなかった。なにが嫌かはわからないのに、話しかけられるたびに口が全然開かなくて、適当な相槌と言い訳をして逃げるようになった。

わたしはもともと好きだった友達の仲良し枠に入れられて(自認)、それが嫌だった。

どこがだめなんだろうってたくさん考えた。その人はクラスの中でも馬が合うし、相当いい人だった。わたしが許せなかった部分も、わたしのこだわりみたいな些細な好みを抜かせば、褒められるべき要素だったと思います。
たくさん考えてもわからなかったけど、人を利用することに敏感になった。わたしはわたしの少しの意思を無視されたような行動が嫌だったけど、そのわりに他の人に同じようなことをしていた。わたしがそうしたのは、わたしがそうしたかったから。当たり前のようだけど、そこに相手の意思はなく、自分のため。
そうやって脳内議論を進めてくうち、人と話したいのも人を頼りたいのも、ぜんぶ自分のためだなあと思うようになって、それが恥ずかしくなった。わたしは人のそれを拒否したのに、今更それを良しとしてのこのこ誰かと話すのは違う気がする。なにかしたいってだけでも立派な動機になるんでしょうけど、今日(こんにち)のわたしは結構繊細さんなのでその動機をうまく消化できない。
人に好かれるのもだめで、人を好きになるのもだめになった。

全部ふくらんだ自意識のせいだ。周りの人の会話を小耳に挟む限り、みんな行動するとき、後ろの席の友だちに話しかけたいだけのとき、いちいち「これは自分が話しかけたいだけだな、やめておこう」とは思わないと思う。

最近のわたしはけっこう一人でいる。会話は話しかけるか話しかけられるかでしか始まらない。わたしは人に話しかけるのに少し苦手意識を持ったので、ほとんど話しかけなくなった。だからすごい単純な計算をすると会話量半分!自分が浅ましくて、それを自覚しちゃったせいで。
クラスメートはみんな優しい。なんだかんだクラスの人みんなと週に一度は話してるだろうし。というか話しかけてくれるの。人と関わるのが苦手になったとはいえ、やっぱり社会と関わっていたい身勝手さがあるので、それがすごく嬉しい。

少女漫画のヒロインは当たり前にみんな素敵。初恋を丁寧に温めていただけ。
わたしは自分が足りない人間だって根拠を自分から作った気がする。友だちからのなんてことない好意すら厳しいんだから、もう誰に対してもこうなんだろうなとおもう。ヒロインの持つなんとなくのコンプレックスと、自分から理由をみつけたコンプレックスって全然違う。なんとなくの短所ってだいたいそのうち覆される、シンデレラ要素がちです。認めざるを得なかったコンプはドブ要素のままがちです。
人と暖かい感情をぶつけ合うことへの耐久力がほしい。自分の気持ちを心置きなく人にぶつけてみたいし、人からの気持ちを受け止めてみたかった。まだ17、諦めるには早いかもしれないけど。
最近、高1のとき拒絶してしまった人に謝ろうと思っている。2年まえのことなので今更かもしれないけど、わたしの明確な欠陥、その発現、もやもやしたまま卒業するのはいや。その人はそんなことがあっても、「はたちになったら飲み行こうね」って言ってくれます。申し訳ないし、嫌だし、嬉しい。そんな人を傷つけたこと、少しでも忘れたいから謝りたい。自分のために謝る。ほんとに最悪。夏休み中にどうにか。

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