戦争なので、にこにこすることにした

にこにこできるはずないです。
このnoteは僕なんかのつまらない思いです。

書く目的は分からないけど、書くにあたって抱く願いは、平和を愛したい、というものです。
同時に、「平和」や「愛する」の定義を考え続ける義務も認識しているつもりです。


ウクライナとロシアの戦争が始まりました。
「戦争」という言葉が、そのままの意味で突きつけられるのは、イラク戦争当時幼かった僕にとっては未知の経験です。

無知の分際で彷彿としたのは「サラエボ事件」。
第一次世界大戦の発端となった事件。そしてオーストリアとセルビアの戦争が始まった。
約30年後、日本に原子爆弾が落ちる。


もちろん世情は異なります。
でも、東欧の戦争が「対岸の火事」になると僕には思えない。

この出来事は、例えば100年後の世界史の教科書で大きく描かれるのではないか。
世界は「戦争の時代」に突入したのではないか。
きっとこれから、世界中で戦争が起きる。

いま一緒に働いているロシア人の上司とどんなふうに関わっていくのだろう。
台湾人の友人はいま何を考えているんだろう。
ウクライナに留学していた知人は。
……

全部、薄い言葉になる。小さな思いに過ぎない。悲しいけど、その悲しみとの向き合い方が全く分からない。


「戦う」ということは、とても大切なことだと思います。
僕たちは日々戦っているし、日々勝負が行われ、勝者と敗者が生まれている。
何より、自分を生かすためには戦うしかない。
でなければ食い物にされるから。何も守れないから。

「戦う」ことを僕は肯定します。僕もたくさん戦ってきて、勝って負けて、蹴落とし蹴落とされてきました。

だけど、いまのこの気持ちは何だろう。
日本語で「戦争」と「戦う」で同じ漢字が使われているのがいけないのでしょうか。それだけではないでしょう。


戦争を絶対に肯定したくない。
でも、そんな願いは時代に飲み込まれるかもしれません。その可能性が極めて高いでしょう。

ああ、僕は、僕の小さな思いは、願いは、飲み込まれてしまうのか。

そんな諦めに襲われながら、僕はいったいどう生きていけると言うの?誰かを愛せると言うの?何かを幸せと言えるの?

…などと考えていて、素敵なラブソングに出会ったりもする(Peridotsのfreesiaという曲です。色んな人に知ってほしい)。
光は時に残酷なものだよな、と考えながら、混沌とした脳味噌に恋人を思い浮かべてたくさん泣きました。


大事にしたいものを、本当に大事にしよう、と思います。
暗い未来でも幸せを願って、愛しい人を愛するとか。
たとえ僕ひとりの願いが小さくても、同じ願いを持ってくれる人がたくさんいると信じれば、願いのサイズは無限大ではないかとか。

「一縷」という表現がまさにぴったりな、本当に本当に儚い願いに見えますよね。
でも、そんな願いを、今の僕にできる限りたっぷり込めて、本気で書いています。

こんなことを書くか迷ったし、何年も経って読み返して「馬鹿だな」と自分で笑うかもしれないし。
でも、そう笑える未来が来て欲しい。

だから、恥でもいいから、いま、戦争の時代の入り口に立っている瞬間に、生モノの感情を、残しておきたい。目も当てられぬ腐敗した文章になるかもしれませんが、それはそれ。


明日からもまたきっと、僕はギターを弾いて歌を歌ったり、友達と冗談を言い合ったり、恋人と笑い合ったりするでしょう。
日本は「まだ」平和だし。

でも、僕の心の底にあるものは、昨日までと、今日からで、大きく変わりました。その片鱗を、いまここに書いているつもりです。
心の底にそれを抱えて、僕はにこにこ笑って明日からも生きていこうと思います。

僕は願い人でいたいのです。
いつか未来の自分が、馬鹿だなと笑ってくれますように。

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