見出し画像

余白をデザイン出来ること

大学を休学して、授業に行かなくなったのに
その時よりも随分忙しくなったな…と感じ、
純粋に「なんでだ?」の中にいるJです。

大学に行くことは、わたしにとって
「これをやればいいですよ」って、一見、
世の中を生きていくための正解みたいな
モノを目の前にぶら下げられて追いかける。
人参🥕を鼻先につけられた馬🐴を見ている
ようなイメージで、消極的、消費的な行動。

ぁ、今やってることは積極的、投資的な行動
だから、忙しくて充実しているのかっ!😅

一つのハテナが解決しました…。

今回はこんな感じで未完成を公開する、つまり

余白がデザイン出来ること

について、書いていきたいと思います!☀️

未完成=恥ずかしい?!

オンラインサロンが普及して、
全国の会員で協力して何かを作り上げたり、
色んな所から集まってお金を払ってでも
働きたいと感じたり、する人たちが増えた今。

《未完成=恥ずかしい》という構造は、
音を立てて崩れ落ちたと思います。

なぜなら、創生していくプロセス自体に
ストーリーを見い出し、そこに価値を置く
考え方が普及してきたからです。

さらに、自分自身が応援する、協力する、など
ストーリーを共有した人は、ただの他人から、
仲間という起伏を共にした親しい人の集まりに
さらにそこからコミュニティと名前を変えて、
継続的な繋がりへと展開していきます。

もしそうだとするならば、
《未完成=恥ずかしい》という考え方ではなく
《未完成=素晴らしい》価値観が醸成され、
“ちゃんとしなきゃ”“失敗したらいけない”と
いうような、風潮や世論、文化や慣習は
その影響力を薄めていくのではないでしょうか

映えない写真

《未完成=素晴らしい》という世界戦であれば
人々が挑戦したり、環境を変えたりすることに
対するハードルは、かなり低くなります。

挑戦しやすい環境やコミュニティの多さは、
世間一般で正しいと言われること、
良しとされること、に従わなくてもいい。
それだけが正解じゃない。
という価値観を育て、自ら考え、行動できる
【生きる力】をもった人を育むことになると
思います。

例えば、このnoteのサムネを見てください!「サムネの画像は映えなければならない」
という、SNS時代に彩られた世論に対し、
真っ向から立ち向かったモダン焼き🙌

例えば、このnoteの前書き!
何の脈絡もなく思いついたことを書いていくと大まかに言えば、今回のテーマに結びついて
いたと言えなくはないでしょう🙌

まとめ

《未完成の公開》に対しては、昨今、
《参加者の余白をデザインする》
《参加できる余地をつくる》などと言い回しを
変えながら取り上げられることが増え、
注目度はかなり高まっていると思います。

《未完成=素晴らしい》という価値観を育み、
自分や周りの人が挑戦しやすい環境を整えたり
ストーリーを共有できる点を増やしたり、して
これからの取り組みを進めていきたいと
思っています。

今回はこの辺で!🌟

J(じぇい)