見出し画像

人を愛するのがヘタクソな君へ

この1週間お騒がせして大変申し訳ありません
今回得た反省点を次に活かして、
同じようなことを繰り返さないよう
善処致します。

かなり久しぶりのnoteに、おかしなテンションになっているJです😈

今回は、絵と文にしのあきひろ(キングコング)
『Zip&Candy』の帯コメントにある、

人を愛するのがヘタクソな君へ

というタイトルで書きます。


自分に軸がないこと…

わたしは、《自分に軸がない》ということに
大学2年の秋、2018年の10月に気が付きました

昔から、意思薄弱で「なんでもいい」
「最後に決める」が決まり文句だったし、
それが故に誰かと衝突することもほぼない、
別に困ったこともないからと
至極簡単に考えていたのですが、
就職活動に係る“自己分析”とやらは
そうはいきませんでした。

自分は何が好きなのか、
どんなことが得意で、何に興味があって、
大学生活の4年間をどう過ごしたいのか、、、
押し寄せる質問の波に何一つまともに
答えられませんでした。

正直に言うと、この時、一生で一番くらいに
めちゃくちゃ凹みました。
だって、20年も生きてきたのに、
自分のことは何も知らないのです。
誰にも理解されなくてもいい、けど、せめて
自分自身にはちゃんと分かってて欲しかった…
寂しさと虚しさと無意味だな…という感情が
入り混じり、暫く動けない時期があった程です

自分が分かってないとダメなのか…

大学2年の夏から秋にかけて行った“自己分析”
その結果《自分には軸がない》ことに気付いて
めちゃくちゃ凹んだ沼から回復したのが、
3ヶ月後の2019年の年初めくらいでした。

落ちるところまで落ちて、
大学にもまともに行けず、
とことん凹み尽くすと、
「あれ…?別にいいんじゃないか…」
と、開き直りはじめたのです。
(人間の防衛本能というやつでしようか…

それで、何とか精神衛生が整ったわたしは、
2019年の1月→3月の間に
初めての経験として、ヒッチハイクや
しまなみ海道チャリ旅をしたり、
自己分析やキャリア系のイベントに
参加したり、
タイにスタディツアーで1週間飛んだり、
とにかく動きまわりました。

色々動いて、人と会って、話して、
体で経験して、頭で考えて、、、
その3ヶ月を経て感じたことは、
[自分の軸がなくても大丈夫]ということです
つまり、
《自分の軸がない》ことが問題なのではなく、
それさえも気付いていないことこそが問題で、
まさに、[無知の知]を悟った時でした。

人を愛するのがヘタクソな君へ

《自分の軸がない》ということと、
『人を愛するのがヘタクソ』ということは
一見すると、無関係な事柄のように
思えるかもしれません。

でも、実際は密接な関係があると
わたしは思っていて、

《自分の軸がない》…自分が分からない
→自信がない…ダメだな、と思う
→自己肯定感が低い…自分なんて、と思う
→愛されちゃダメだと思い込む
→人からの愛をちゃんと受け止められない
→人から愛される、が分からない
→人を愛する、か分からない
→『人を愛するのがヘタクソ』

と、一つにつながった事象かな…と。

わたしの場合は、“自己分析”で露呈した
事柄ですが、多分、家族、友人、仕事、勉強…
色々な分野や事柄を通して、このテーマには
行き着くような気がしています。

『人を愛するのがヘタクソ』という事実も、
それそのものが悪いのではなく、
それを知らないことが問題なのだと思います。

そうと分かれば、行動あるのみ、です。
行動しなければ、何も変わりません。
わたしと一緒に次の一歩を踏み出し、
新たなステップを目指しましょう!

人を愛するのがヘタクソな君へ…

J(じぇい)